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『 평가물어 (平家物語) 』 의 사생관과 원령사상 (怨靈思想)
Views of Life and Death and Concepts of Revengeful Spirits in the ' Heike Monogatari "
최문정(Mun Jeong Choi)
일어일문학연구 22권 231-262(32pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006475304

『平家物語』の戰場では, 古來からの欣求淨土的な死の樣相が武士的な非欣求淨土的な死の樣相に移り變わってゆくような樣子が現れている.『平家物語』の諸本の敍述者も戰場での武士的な死に方に對し, 從來からの淨土敎の死の論理を揚げ, その執着を墮地獄を云云しながら非難することもない. 從來の傳統的な死の論理とは別の價値觀で彼らを見て, 判斷しているのである. 卽ち武家社會では, 當然切に求されてくるはずの湧戰奮鬪の「あっぱれ」精神と, 主從間の結束の精神の「一所にて死なん」が肯定的に描かれている. 讀み本では勝利者側の功名譚を中心として, その武勇を描いているのに對し, 覺一本の方は特に敗者に焦点を合わせ, 醜いものを省いて, より美しく仕上げられている. これに對し非戰場では, まだも古來からの欣求淨土的な死の樣相と論理だけが持續されている.本意でないながら臨終正念できなかった場合, 讀み本係の諸本はその怨靈を大いに認識しているのに對し, 覺一本は怨靈の敍述には消極的で, なるべく欣求淨土的な側面を强調している. また死者のための近親者の供養の記事も諸本が缶かさず載せていて, 非常に重要視されているのが分かる. このように非戰場死では死者の臨終正念と死後供養を描くことによって, 往生を最大限象徵しているのである. 反面, 非戰場死にもかかわらず臨終正念と死後供養を無視した淸盛は, 稀代の惡行者として, 同時代人を戰慄させたのである. 戰場死と非戰場死での論理がこのようにはっきり分かれている理由と背景については, 慈の「愚管抄」にも「顯ニハ武士が世有ルべシト, 宗廟ノ神モ定メヲボシメシタルコトハ, 今ハ道理ニカナイテ必然ナリ.」(卷六 順德)と確と力說しているように, 世はもう戰場を中心として從來の欣求淨土的な價値觀ではやっていけないような武士の世が始まっていて, それを追認せざるをえなくなった段階において, もっと積極的に政治, 宗敎界の指導者の揭げる理念が『平家物語』にも反映させられたのではないかと思われる. 美化された覺一本『平家物語』の詞章を琵琶法師に語り繼がせることによって得られる效果は, まず平家への鎭魂の意圖とともに欣求淨土思想の布敎, 武家社會が新しく要求する新時代の價値觀, もっともらしい死生觀を美意識を通じて民衆の心中に浸透させていったものが多かったろうと考えられる.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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