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야택범조 (野澤凡兆)의 작품 - 그 배해사적 (俳諧史的) 가치와 한계
The Style of Nozawa Boncho
유옥희(Ock Hee You)
일어일문학연구 24권 145-163(19pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006475102

野澤凡兆は蕉門俳諧の円熱期に芭蕉と最も親密な關係にあった弟子の一人であゐ. 彼は芭蕉との出會いによって內在的な才能を發揮し, 獨自の句を多數殘しており, その作風は新境地を模索していた元祿期の芭蕉に逆に刺激を與えたものと見られる. 本稿は凡兆の生涯を芭蕉との關連のもとで簡單に調べたあと, 彼の詩世界の本質を分析し, 俳諧史の一轉換期を明らかにすることを目的とした. 凡兆は元祿3,4年頃芭蕉と非常に親しくなり, 一躍蕉門の宿願事業であった『猿蓑』の編者として拔擢され, 作品においても108人の入集作者のうち師の芭蕉をも凌駕する最多の句を收錄すなど目覺ましい活躍をするが, 『猿蓑』直後, 凡兆は反芭蕉グル-プに近付き, 急に芭蕉と遠ざかる. その問獄中生活をも送ることになリ詩作は退步の一途を천る. ところが, 全盛期の凡兆は, 俳諧をして觀念や唯美主義がら出て俳味あふれる庶民詩として定着させることに一翼を擔當している. いわば, 生動する自然をキャッチする觀察力と, 感覺性と印象性に富んだ描寫法, 日常の庶民の生活感情を淡淡と描きだす方法, そして繪畵的技法にも似た洗練した構圖意識, 最後にこれらを效果的に表現するため, 修飾語や說明語なしに適切な素材だけを配合する方法などはそれまでの俳諧では見られない畵期的な新境地であった. これは師の芭蕉にも刺激を與え, 凡兆との交際後の芭蕉の句には主情や主觀から出た凡兆と類似した句が多數見られる. ところで, 芭蕉と離反後, 凡兆は言語遊戱や比喩法などを用いたごく平凡な句だけを詠むようになる. 勝れた才能にも拘らず持續的發展が遂げられず, 凡兆の俳諧が短期間に衰徵してしまったのは, 現存する俳話などによると彼の敗けず嫌いの性格的要素と確固とした人生觀, 自然觀が缺如していたためと見られる. 大家としての一生を送ることはできをかったものの, 凡兆の全盛期の作品は俳諧を日本の風土詩として局限せず, 短詩型として獨自的に發展する方向を示したものと見られる. 俳句が世界文學的な次元で考えられる今日において凡兆の俳諧は十分再照明するに値すると思う.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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