3.15.202.4
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『 태평기 』 의 사생관과 원령사상 ( 하 ) - 비전장사 (非戰場死)와 민간피해 양상을 중심으로 -
Views of Life and Death and Concepts of Revengeful Spirits in the Taiheiki (2)
최문정(Moon Jung Choi)
일어일문학연구 25권 207-236(30pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006474978

『平家物語』で發見できたような戰場と非戰場という空間による死生觀の差異は,『太平記』にも一應存在するものと判斷される. 戰場では武勇の精神と怨みが强調されるあまり切腹が盛行し, 死後までも主君のため忠誠を盡して, 敵を滅ぼしたいという怨念の死が稱えられてかるが,非戰場ではおも臨終正念が要求されているからである. しかし『太平記』にはもう一つの類型性が發見される. 卽ち, 壤滅的な戰死, 神罰かうの死の敍述は南朝方(官方)に對抗して戰う敵側に限っているだけで, 宮方の方がこのような死をやされるような敍述は見られないこと, そして宮方の武將の怨念が浮き彫りされていること等が類型的的な特徵として指摘できる. このような敍述には皇統の神權力を主張するための意圖が窺われる. そのような背景から敗北した官方の怨靈が足利武家の內粉紛を畵策するという怨靈譚にもつながっていく構造となっている. 卽ち, 후제호천황の崩御の時の惡相により, この世の混亂がもたらされたという論理で, その結果, 非戰場ですら臨終正念と家族の供養も不可能な殺伐とした環境を敍述し, 怨靈をぼのめかしている.『平家物語』でも安德德帝の死を巡って混亂が敍述されているが, 健禮門院の役割等で安德帝を初めとする平家一門が自ら往生に至るとの論理であるのに對し,『太平記』は皇統の怨靈を强調することにより, 國家的な鎭魂儀禮の必要性が一層强調される. そのような背景から死後供養を否定する者は大いに非難されているものと考えられる. 一方, 民間被害の描寫においても差別は見られる. 在家の被害には何の論評もないのに對し, 寺社への掠奪, 放火に對しては大いに非難し, それを敗亡の兆としている. 以上のような『太平記』の死の敍述, その類型性と差別性等から, この作品の執筆意圖が窺われる. 卽ち, 武家の世を認めながらも, 新しく勸力を握って軍雄割拒する武士階級に皇統の怨靈を認識させ, その鎭魂を擔當する佛敎界の役割を强調することにより, 國家の秩序體系として位置してきた王法と佛法の存續を圖ろうとしたものと考えうれる.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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