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현대 일본어에 있어서의 「 してしまう 」 에 대한 고찰 - 대응하는 한국어와의 대조를 통하여
A Comparative Study of 「 sitesimau 」 in Modern Japanese with Corresponding Korean
이미숙(Mi Suk Lee)
일어일문학연구 27권 57-80(24pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006474685

本稿は現代日本語において「してしまう」が主に運動の實現に對しての話し手の感情·評價的態度を表わすモダリティの表現手段として使われていることに注目し,「してしまう」に對應する韓國語の諸形式との對照分析を通じて, その複雜な意味を明らかにしようとした. 「してしまう」の意味は$lt;a$gt;運動の實現に對する話し手の何らかの氣持ちを表わす場合や, $lt;b$gt;面倒なことを避けるために運動の實現をせめる動作主の意志·意圖の表明とに大別できる. つまり,「する」のもつ中立的なモダリテイに對して何らかの感情·評價的態度を表わすのであるまず, $lt;a$gt;の感情·評價的態度は$lt;殘念だ$gt;という感情から$lt;意外$gt;, ひいては$lt;てれくささ$gt;等の意味へ發展していくが同じ延長線上にあると言えよう. 中で, 無意志的な運動である場合は「hago malda」の方が似合い, $lt;b$gt;の意味を表わすのは「hae borida」にかぎる. 特に,「してしまう」が命令,?勸誘などのモダリテイ形式とよく似合うこともこの$lt;b$gt;の意味によるのである. これと關わって, 動作主が第三者である場合, 話し手がたんたんと第三者の感情的態度を描寫することもある. 他に上の$lt;a$gt;$lt;b$gt;の意味を複合的にとらえる場合もあるが, これは韓國語にかいて「hae borigo malda」の必然性と通じ, く食べる)等, 一部において相を表わす「してしまう」は「hae chiuda」の特性と通じるところがある等,「してしまう」は韓國語の諸形式のもつ特性をあわせもつていることが分かる.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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