本稿は「今昔」の船僑家本「孝子傳』受容についての「傳承」方法を, 孝養と考いう語と, 孝養譚の構造と表現の兩面から考察したものである. 震旦部の孝養譚は話群全體の話性轉換が試みられた唯一の例であり, 孝養という語をもって佛法的性格を備えさせようとしたことは「傳承」方法の創意として評價されるが, 反面, 話の內容からみるとその意圖に合致するところまでは改變できていない. その點は「傳承」方法の限界として指摘される. また構造と表現においても, 船橋家本『孝子傳』の地の文を會話文に燮えるなど,『今昔」は原典の內容を損なわない限りでの最大限の創意を發揮するが, 定型反複表現に依存する限界も內包していることが分かった. このような『今昔」の「傳承」方法に現われた創意と限界の拮抗現象が,「今昔』という作品の本質に內在されているといえよう.