上田秋成は一般に作家として知られているが, 彼の殘している業績を見る限り彼は作家というより國學者として見るべきであると思われる. 從って秋成の作品を理解するためには彼の國學, 卽ち彼の學問と思想を理解する必要がある. 彼の作品において絶えず學問性が問われているのもそこに原因がある. 本論文は, そういう視座から秋成の國學に見られる「智」に對する認識の問題が彼の作品にどういう形として表われているのかを明らかにしようとする試みである. 秋成は「智」に對して否定的であったし, 自分の考えを『遠駝延五登」のような學術的著作にたくさん書き殘している. そればかりでなく彼は『癎癖談」のような諷剌小說や「瞻大小心錄』のような隨筆,「春雨物語」のような讀本等, 創作 の中にも自分の考えを余す所なく書き殘しているのを見る. そこから秋成の文學は彼の學問と密接な關係にあり, またそれは「戱作」という近世文學の-つの特徵であった.