本論文は, 韓國語と日本語の生産的な使役形式である「-게 하다」と「-(さ)せるかの生産性の違いについて論じたものである. その結果をまとめてみると次 とおりである. 1. 兩言語の單純動詞を「-게 하다」와「-(さ)せる」の形式に使役化する場合, 後者の方が前者より多くの制約を受けるために生産性が低い. このことは複合動詞の場合においても同樣である. 2. 兩言語の謙議語はそれぞれ「-게 하다」と「-(さ)せる」の形式への使役化が可能である. しかし, 日本語の「お∼する(いたす)」形式の謙議表現は「-さ)せる」の形式に使役化することが不可能である. 3. 韓國語の尊敬語は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語の尊敬語, 尊敬形, 尊敬表現は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. 4. 兩言語の「-게 하다」「-(さ)せる」形式の使役形を「-게 하다」と「-(さ)せる」の形式に使役化することは同音連鎖を起こすために不可能である. 5. 韓國語の受動形は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語 の受動形は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. (一方, 韓國語の使役形は受動化が可能であるが, 日本語の使役形は受動化が可能である.) 6. 韓國語の可能表現は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語の可能形と可能表現は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. 7. 韓國語の自發動詞, 自發形, 自發表現は「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語の自發動詞, 自發形は「-(さ)せる」の形式への使役化が不可能である. 8. 韓國語のアスぺクトの形式は, それが動作の進行を表わすにせよ變化の結果の狀態を表わすにせよ, 「-게 하다」の形式への使役化が可能であるが, 日本語のアスぺクトの形式はどの場合においても「-(さ)せる」の形式に使役化することが不可能である. これらの結果は單にニつの形式の生産性の違いだけを示しているのではなく,「-게 하다」と「-(さ)せる」の意味的, 統語的機能の違いを解明するのにもよい參考資料になりうると思う.