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현대일본어의 「 してしまう 」 「 しちまう 」 「 しちゃう 」 에 대한 비교연구
Comparative Study on 「 sitesimau 」 , 「 sitimau 」 and 「 sityau 」 in Modern Japanese
이미숙(Mi Suk Lee)
일어일문학연구 31권 67-94(28pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006474105

本稿は拙稿1992, 1995での分析そもとに, 「してしまう」の基本的な意味をモタリティに求め, その意味を$lt;自分の本意に反した運動の實現に對する話し手の殘念さ, 意外さ, 照れなどの感情·評價的な態度$gt;や$lt;自分の本意である戶惑い, 煩わしさ等から逃れるため實現を急ぐ話し手の感情·評價的な態度$gt;とに分けることから出發し, これまで「してしまう」と同じく扱われてきた「しちまう」「しちゃう」が現代日本語においてそれぞれの意味特徵·用法を持ち, これらの三つの形が何らかのものさしによって使い分けられているのではなぃかに注目し, 多樣な方向から分析したものである. まず, 「してしまう」「しちまう」が主に殘念さ等の感情を直接的に表すのに對し,「しちゃう」は相手のことを配慮して感情を和らげて表現する傾向がある. 「しちゃう」のこのような意味特徵は現代日本語において自分に好ましい運動を$lt;照れ$gt;等の感情で紛らわそうとする話し手の意圖とつながって好んで用いられている. つまり, 殘念さの程度においても「しちまう」「してしまう」「しちゃう」の順に弱まっており, 文體, 時代, 話し手の性別による偏りが見られる. なお, 「しちゃう」がたしかに比較的直接的な感情表現を愼む女性趣向の言い方ではあるが, 男性=話し手の比率も43%に及んでいることから女性語であるというこれまでの認識には問題があることも指摘したい. 最後に, これらの形の選擇が話し手や相手によるというより場面の狀況によることを確認し, 同一の相手に對する場合でも公的な場面なのかどうか, よそよそしい關係なのかどうか, また殘念さの程度の强弱等によって使い分けられていることを指摘し, それを丁寧體の使用率が「してしまう」「しちゃう」「 しちまう」の順に多かったことと關連づけて設明しようとした. この硏究では會話においての音の縮約から生した三つの形が時代と共にそれぞれの意味特徵·用法を持ちつつ發展し, 話し手により意識的に使い分けられていることを明らかにしたのである. この硏究が「してしまう」の意味究明はむろんのこと, 「しちまう」「しちゃう」の意味硏究の出發点になることを期待したい.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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