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『 겐지모노가타리 (源氏物語) 』 소고 - 무라사키노우에 (紫上)의 도심과 그 행방 -
A study of Murasakinoue's Doshin in Genjimongatari
김유천(Yoo Cheon Kim)
일어일문학연구 31권 197-219(23pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006474054

『源氏物語」の女主人公紫上の道心を考えることは, 紫上論において欠くことのできないテ-マであるとともに, 『源氏物語」を理解する上で素通りできない重要な問題でもある. 本稿では, 紫上が源氏との愛情關係を通して出家を志向する必然性とその行方について, その表現性に注目しながら考察した. まず, 紫上の出家表明には, 女三宮の降嫁以降, 源氏との愛情關係の變容と自身の存在を反芻してきた內面の苦惱が敷かれていたことを, 「世」や「身」の表 現を通して確認した. 次に, 彼女の出家志向が, 明石君と女三宮の榮華の高まりと呼應する形で物語世界に表出する点が注目された. 彼女たちに比べて, 源氏の愛情のみを唯一 の據り所とする自身の限界と 源氏の寵愛の喪失を必至とする絶望的な認識こ そが彼女の道心を導き出しているといえよう. これは源氏の妻としての地位と榮華を現實約にまえてくれるような血緣約な紐帶が欠如している彼女の位相を浮き彫りにしている. また, 彼女の述懷を通して, 源氏の寵愛を獨占するすぐれた宿世を持ちながら, 同時にそれゆえに苦惱と憂愁から逃れ得ないわが身に絶望する彼女の內面に觸れた. さらに, 出家する女君, 特に父朱雀院によって源氏との絶望約な夫婦關係から出家へと救い取られる女三宮を通して, 紫上は血緣的な紐帶が女性を宗敎的な領域に救濟してゆくという道心の次元でも疎外されていることを指摘した. 最後に, 道心の行方として, 源氏の愛執に固く縛られている一方で, 彼女自身が源氏に對する憐憫を捨て難く抱いていたことを確めた. また, 深い道心そ抱きながらも, 極樂往生という幻想に收斂されず, 自身の孤獨な死を現實として直視しようとする認識を, 「薪盡きなん」ゃ「我獨り行く方知らずなりなむ」などの特異な表現に注目して考えてみた. そこには來世での安易な救濟を懷疑するような物語の眼差しがあるといえよう. このように紫上の道心の特異性は, 孤立無援の彼女が源氏と愛情のみで離れ難く結ばれているという虛構性の達成と密接な關係があるといえよう. そして, 佛敎的な救濟の次元に收斂されないこと, 卽ち彼女を最後まで出家させないことこそが物語の論理であるといえよう.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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