本稿は, 小倉進平(1940)·岩淵悅太郞(1942)等で誤用と指摘された2例(「惡風をあうて」,「ゑいひより(日和)をあわしられたほどに」)を含めた『捷解新語』原刊本に現れる「あう」の用例すべてについて檢討したものである. 『捷解新語』原刊本に現れる自動詞「あう」は, 全部で8用例あるが, 形態的には「-にあう」(4例)と「-をあう」(4例)に二分される. 自動詞「あう」は, 通常「を」をとらないとされるが筆者は, 原刊本が書かれる時期まで「あう」は,「を」格と「に」格の兩形をとっていたと考える. 「人間名詞」が「を」格をとる場合は, 竹取物語の「かぐや姬を必ず逢はむ設けして」などの用例に見られるように, 「逢いたい相手は, 他ならぬかぐや姬」であり, 逢いたい相手に對する氣持ちをこめて, かつ「とりたて」乃至「强調」の意味で「に」ではなく,「を」が用いられたと考える. また, 「とが(科)にあう」「接待にあう」の用例において見られるように, 康過聖は「無生名詞+にあう」という形態を認識していながら,「惡風をあうて」,「ゑいひより(日和)をあわしられたほどに」,「惡風をあわず」においては,「に」ではなく「を」を敢えて用いているのは, 上記「人間名詞」の場合と同じく, 文脈上やはり「强調」の用法と考えたい. 助詞「を」は本平間投助調であったと言われ, 對象を表す場合, 普通省略して用いられない場合が多かったとされる. 「を」を用いる場合は, 特に强調して明確に言い表す必要がある場合のみ「を」が用いられたという本來の「を」の性質を考えると,「あう」と共に用いられる名詞 (「惡風」,「ゑいひより」)を强調するために,「-をあう」という形態が用いられたと考えることもできよう. 原刊本の「-をあう」が改修本·重刊本においては, すべて「-にあう」に統一されていることから原刊本の書かれた時期は, 自動詞「あう」が「に」格のみと共起するようになる過渡期であったように考えられる. つまり, 原刊本が書かれる時期は助詞「を」の使い方の燮化の時期でもあったという可能性も考えられるのである.