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문학 일본학편 : " 의경기 " 이부구성과 역설의 논리구조 ( " 義經記 " 二部構成と逆說の論理構造 )
Literature Japanology : A Study on " Gikeiki " of it's plot and structure
장영철(Young Chul Jang)
일어일문학연구 34권 153-177(25pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-006473522

『義經記』の形式上の特徵は前半部と後半部が有機的な因果關係を結んでいない二部構成に成っている點である. これは重點的に取り扱われるはずの源平合戰での武勳譚を意圖的に省略した『義經記』の編集に大きく起因する. 『義經記』の前半部構成はテキストの冒頭文に提示された義經の名將軍像を前提に彼の成長過程が最大限に擴張されている. その反面, その結果として實際に名將軍として活躍する實狀はただ數行に要約されることによって, 過程は最大化されて結果は最小化されるという特異な構成を見せている. また, 『義經記』の後半部構成は賴朝と義經の間に行われる$lt;兄弟不和$gt;が主な原因になって, 義經の$lt;不運$gt;=賴朝の$lt;果報$gt;として結末づけられている. その過程で義經は京都脫出→吉野山脫出→北陸道突破→死の選擇という一連の段階を通じて各各の場面でそれなりの獨特な成功を擧げているようになっているものの, その結果は悲慘な最期を遂げることとして失敗に終っている. 過程での成功が結果としての失敗に結ばれる論理的矛盾が『義經記』の後半部で繰り返されているのである. このような『義經記』二部構成の論理的矛盾は義經に對する$lt;判官비희$gt;と賴朝に對する$lt;果報$gt;の受容という兩者擇一の間で價値判斷を保留した『義經記』の編集姿勢がいちばん主な原因である. したがって, 義經と賴朝を各各の軸にする登場人物の論理と讀者の價値判斷の間に乖離を招來する裝置が『義經記』に現われた逆說の論理構造なのである. 『義經記』に現われた逆說という觀點での論理構造を整理すれば次のようになる. 第一に, 『義經記』の全體を通じて義經と賴朝の論理驅使及び人物像は一貫性を欠如している. 義經の場合, 前半部では打倒平家の爲に積極的意志と行動性を見せながら$lt;武勇$gt;を誇るが, 後半部では中世武士というより王朝貴族の姿で$lt;藝$gt;を誇示する方に變っていく. 賴朝の場合は, 義經を除去する爲の一連の措置を自ら指示するが, 自分の論理を自分の口で發說しない二重的態度を取っている. 第二に, 『義經記』に現われた義經對賴朝の葛藤構造が兩大軸を形成しているが, 兩側の周邊人物たちによる相互補完がテキスト全體において相當な比重を擔っている. そして, 弁慶を始めとする義經側の人物たちは$lt;兄弟不和$gt;の原因を賴朝の薄情に置くことで與論を背負って名分論上の優位にいることを主張する. その反面, 賴朝側は梶原と전山の强硬論と穩健論に分けられるが, 幕府本制の確立に必要な動きを施していく現實論の立場で賴朝による力の支配を合理化させている. 第三に, 『義經記』の編集姿勢は表面の上曖昧である. 義經=絶對善, 賴朝=絶對惡の圖式化は決して成立しない. にもかかわらず, 義經の $lt;不運$gt;=賴朝の$lt;果報$gt;という表面的結果は『義經記』全體を通じて義經の$lt;武勇$gt;と$lt;藝$gt;という過程に焦點が當てられることによって$lt;判官비희$gt;という編集意圖を暗默裏に同調する方に作用している.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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