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KCI 후보
문학 , 일본학 편 : 나츠메 소오세키 (夏目漱石)의 문명비판정신과 강담 (講談)의 풍자성 - 「 노와키 (野分)」 에 나타난 강담 「 오오쿠보히코자에몽 (大久保彦左衛門)」 의 영향을 중심으로 -
Literature , Japanology : A Study of Natsume Soseki and the storytelling`s satire
오현수(Hyun Soo Oh)
일어일문학연구 38권 167-192(26pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-005821344

夏目漱石は1905年9月から東京大學を辭職する直前の1907年3月まで「十八世紀英文學」という題目で講義したノ-トに加筆·改訂して出阪した『文學評論』の第4章「スヰフトと厭世文學」で, 諷刺家の性格論を述べている. 漱石はここで, `諷刺家は少くとも諷刺を與ふる目的者の利害に關しては無頓着(indifferent)である`と言い, この無頓着は`諷刺以外の交涉卽ち當人の利害などは忘れて仕舞ふ`ものであると規定しながら, 基の無頓着な性格の所有者として日本の一休禪師と大久保彦左衛門を擧げている. 又, 漱石はイギリスの文學者で, 政治家であるスヰフトを天性の諷刺家であると稱讚しながら, 彼の無頓着は人間社會の根源的な無殘さに銳敏であり, それゆえに, 表面的な他人への配慮にとらわれず, 人間を根源的に改造しようとすることであると指摘している. 卽ち, スヰフトの無頓着とは, 現在に對する大不滿·大不平であリ, 絶望から出た, 憤怒の峠を通り越した, `雪に封じられた火山の樣な無頓着`である. この樣に, 漱石がスヰフトの諷刺精神を論じる所で, 大久保彦左衛門について言及しているところから, 漱石はスヰフトの諷刺小說である『がリヴ-旅行記』を讀む時, 日本の諷刺家として大久保彦左衛門を思浮かべたことが分かる. ところで, 漱石の大久保彦左衛門についての言及は, 大學での講義「十八世紀英文學」と同じ時期に書かれた『野分』でも見られる. 『野分』は漱石が朝日新聞社に入社する直前に書いた作品であるが, 漱石はこの作品の創作意圖について, 1906年10月17日の高浜虛子宛の書翰で `近近「現代靑年に告ぐ」と云ふ文章をかくか又は基主意を小說にしたいと思ひます`と言い, `それから現代の靑年に告ぐと云ふ文章中には大に靑年を奮發させる事をかく`と書いている. この後, 漱石は虛子に明かした樣に長文の「斷片」を書き, また『野分』も書くことになった. そして, 漱石は『斷片』及び『野分』の兩者において束縛から拔け出して解脫する方法として, 大久保彦左衛門の『관の登城』の逸話を其の例として擧げて說明している. ここで大久保彦左衛門という人は德川幕府の初期の旗本で, 漱石が引用した樣に大きな관を作らせて, それに乘って泰然と登域するなど, 幕府や大名に媚びへつらわない, 彼の無頓着な言動によって數多くの逸話を後世に殘した人物で, 大久保彦左衛門に關する話は, 特に江戶時代以降, 日本の話藝の一つである講談によって町人などに廣く知られるようになった. 從って, この樣な事實から推論して見ると漱石は『野分』で, 登場人物である道也先生の性格を設定する時, 江戶時代以降, 講談によって廣く知られた大久保彦左衛門の無頓着な性格と, 英文學を勉强してがら接した『ガリヴ-旅行記』の著者でありながら, 18世紀初, イギリスのアイランドに對する搾取政策を猛烈に攻擊するなど, 人間の矛盾な行動を辛辣に批判したスヰフトの諷刺精神を念頭に置いて造型したのではないかと思われる.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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