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KCI 후보
문학 , 일본학 편 : お伽草子의 여성의 원한과 진혼 - 『 귀 』 변신의 상징성을 중심으로 -
Women`s grudge and the soul reposing in Otogizosi
이용미(Yong Mi Lee)
일어일문학연구 41권 97-113(17pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-004446129

お伽草子の嫉妬譚において嫉妬による女性の怨念は主に女性自ら現世にて鬼や蛇などに變じて相手により直接でかつ破壞的な危害を寫える形で現れる。すなわち、怨念の表象化という面で考えると、王朝物語に見られる「もののけ」を怨念の憑依化であるとするなら、このような鬼や蛇への變身は怨念の視覺化ないし肉化であると言える。ところで、語り手が女性の嫉妬および怨念に對していかなる促え方を示すかによって物語における鬼の性格、および女性の怨念を鎭める鎭魂の樣相は異ってくると思われる。 本論文では室町期のお伽草子である『かなわ』·『いそざき』を對象に、女性が「鬼」に變じるまでの經緯とそのイメ-ジ、そして彼女たちのための鎭魂をめぐる展開を究明してみた。 嫉妬譚に見られる女性の「鬼」變身は中世、女性不淨觀および罪障說、そして家父長制といったイデオロギ-に基づいて生まれた一つの類型であるといえる。ところが、女性の嫉妬を語るにあたって語り手が男性の色好み、言い換えれば彼の性的自由をかばう見方を示すか、それとも女性の惱みの根源を探る見方を示すかによって物語の展開はずいぶんと違う。 まず、『かなわ』において物り手は主に男性登場人物の目線を通して、女性の嫉妬とそれによる怨念を彼女の邪險性のせいであると說き、この邪險性こそ女性の本性であると見なす。また、この考え方に基づいて嫉妬ないし怨念の外在的な表象である「鬼」は社會の秩序と王權を脅かすものとしてその惡性はだんだん擴大していくばかりで、やがて武力をもって取り除かなければならない存在として描かれている。 これに對して『いそざき』では佛敎の罪業觀と救濟を物語の背景としているものの、語り手は始終、女主人公の口を通して、嫉妬と怨念を彼女の置かれに不平等は社會狀況に基づいて述べ、彼女の苦惱に同情する見方を示している。したがって、女性の「鬼」への變身は理性と感情の食い違いから行われたものであり、たとえ「鬼」と變じても섬悔と歸依によって再び元の姿を取り태すことができると說き、女性の救濟と社會への復歸を描く。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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