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KCI 후보
문학,일본어 : 강호가무기에서의 청현망혼의 연출
Literature,Jpanology : A performance of Seigen`s ghost in Kabuki
가등돈자 ( Ga Deung Don Ja )
UCI I410-ECN-0102-2009-730-002395389

本論文は、江戶歌舞伎における淸玄櫻姬物の淸玄亡魂の演出の一つである淸玄骸骨について考證考察することを目的とする。 淸玄櫻姬物は、淸玄が櫻姬への戀に落ちる「淸水寺の場」、櫻姬に執着する淸玄がその執心ゆえに殺される「庵室の場」を軸とし、その後、殺された淸玄が異蛇や幽靈となる趣向が知られている。 本稿ではまず、これらに加えて、勝川春章の役者繪「四世巖井半四郞の櫻姬と五世市川團十郞の骸骨」及び신본『鳴呼笑』に見える「そ??ふもの」の돌によって、淸玄亡魂を骸骨の扮裝で演じる演出が存在したことを明らかにした。 また、番付、評判記、役者繪などにより、五代目團十郞が淸玄亡魂を演じた明和4年(1767)、 安永元年(1772)、 天明3年(1783)の3度の內、 安永元年と天明3年の2度は骸骨の演出であったこどを明らかにし、明和4年の場合も骸骨の扮裝であった可能性があることを指摘した。 續いて、五代目團十郞の演じた安永元年、 天明3年の淸玄亡魂は、二人淺間の趣向である点、物語の本筋の淸玄と淸玄亡魂とを別の役者が演じるという配役であった点で、父四代目團十郞が寶曆7年(1757)に演じた淸玄亡魂を繼承したものであったことを指摘した。さらに、役者評判記の記事かみ骸骨の所作が市川家の得意藝として捉えられていたことを明らかにした上で、二代目團十郞が寬保2年(1742)に鳴神上人の死靈を骸骨の姿で演じていたことを考え合わせて、骸骨の藝と市川家のつながりを論じた。 最後に、五代目團十郞以後、淸玄櫻姬物でも他の作品においても骸骨の趣向か取り入れられなくなった理由を考察した。第一には、人氣役者が全身を隱すような扮裝で舞臺に立つことが觀客役雙方にとって望ましいことではなかったためであり、第二には、骸骨の所作は奇拔さに主眼があり、作品の新たな地平を開いたり新たな趣向を生み出たりすることもなければ、藝が繼承承されることもなかったためである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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