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KCI 등재
일본어학,일본어교육 : 그리스도 판국자본의 탁음표기에 대하여
Japanese Language,Japanese Education : A Study of "Dakuon Hyouki" in the Early Christian Kokugi Documents in Japan
정현혁 ( Jeong Hyeon Hyeog )
UCI I410-ECN-0102-2009-730-002394771

本稿は、慶長期ごろに作られた文語體の漢子平假名交じり文であるキリシタン版國字本の濁音表記が、なぜ忠實になされていたかを、おもに前基國字本『どちりいなきりしたん』(バチカン本)、『ばうちずもの授けやぅ』を用いて考えたものである。 まず、『どちりいなきりしたん』(バチカン本)、『ばうちずもの授けやぅ』の濁音表記が、どれほど忠實に施されていたかを、出雲朝子 (1976.3,1976.12) が調査した國會圖書館藏『玉塵抄』の調査と比較した。その結果、キリシタン版國字本の兩文獻は『玉塵抄』より高い率であることと、本語 (キリシタン版國語書中た用いられた外國語) の濁音表記が存在することが特徵的であった。なお、その率にかたよりがあるのではないかと思い、語種別·位置別濁音表記率、濁音表記語の同一丁內の處理、濁音表記との混同を防ぐための濁音表記の面で調査を行った。その結果、兩文獻の濁音表記はかたよりがなく、網羅的に表記されていたことが分かった。 このような狀況の中で、本語の濁音表記に與えた影響、濁音表記することの意味、キリシタン版國字本使用者を念頭に人れた作成者の濁音表記への認識の面でキリシタン版國字本の忠實な濁音表記の理由を考えた。 キリシタン版國字本が作成された時期は、濁点を右肩に二つ打つ認識をもっていたが、すべての文獻に行われたのではなく、必要に應じてあらわれたようである。それがキリシタン版國字本において、宗敎書や辭書には濁音表記がみられ、文學書には濁音表記が殆ど見られない形であらわれた。その理由を考えてみると、前者がその內容を讀み手に正確に理解させるところに重点が置かれたが、後者は日本人バテレンが日本の古典的敎養を學ぶところに重点がおかれていたからだと判斷した。淸音表記をして濁音をあらわすこともできた時期に、濁音表記を忠實にすると、作成者の意圖曲した語を限定させるようになって、讀み手にその內容を正確に傳えることができたと思われる。さらに、當時の和字文と異なり和語·漢語以外の本語が、キリシタン版國字本に存在したことが、作成者に讀みに注意を拂う原因を與えたと考えられる。 要するに、淸濁表記の區別を明確にしていたキリシタン版國字本の作成者は、本語も平假名で表記されていたキリシタン版國字本を、讀み手の負擔を輕減させ、自分達の意圖する內容が間違いなく傳えられるように工夫した結果、忠實に濁音表記をするようになったということである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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