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KCI 등재
일본문학,일본학 : 『가이도기(海道記)』에 나타난 자조성 연구
Japanese Literature,Japanology : A Study of Self-reflection in 『Kaidoki』
이영경 ( Lee Yeong Gyeong )
UCI I410-ECN-0102-2009-730-002396326

中世紀行文學の一つで『海道記』の今までの硏究史を一通り見ると、未だに明らかになっていない作者究明、または傳本、語彙·語法·文體といったような文章表現を中心とした硏究がほとんどであることが確認できる。言い換えれば、日本の紀行文學の嚆矢とも言えるべき『海道記』が紀行文學として獨自性を確保するには不足なところが多いのも否定できない事であろう。ここで紀行文が名所案內記名または見聞記のような單純な旅行記錄の本來の意圖を越え文學的な價値を認められる、すなわち紀行文學になりぅる條件がなんであるかの問題が出て來る。このような意味の上で特に<敍景性·鄕愁·自照性>といっ槪念などが紀行文學を特徵づける主要な要素として取り上げられる。よく紀行文に見られる<出發·路程·目的地·歸路>4つのメカニズムの形式的な特性と<敍景性と鄕愁>などの內容的な敍述特性を備えていてもそれらのすべてを紀行文學として位置づけることは出來ない。その條件を滿たす直接的な要素は外でもなく例の<敍景性>と<鄕愁>の中から芽生えている敍述者의の內的自我に對する省察、または<自照性>である。 このような意味から本稿は『海道記』を紀行文學としての考察において、よずその分析の졸を自照文學におくこととし、`旅行`を媒體に敍述者の內面意識がどのように變化していくかについて特に<自照性>の槪念を中心に論を進めた。その結課『海道記』で旅行者である敍述者は旅行を自照と內省の場として選擇し、その過程の中で新しく認識された隱された自分の內面意識の推移を敍述している事が分かった。出家した者が自分の身の上を哀れみ、人??に嘲弄されることを知りながらもつまらない自分の心を表すため記錄(愚懷の爲に此を記す)したという執筆動機から推察できるように著者は明らかに『海道記』の中で敍述者自分の內面の心情狀態を`旅行`という媒體を通じて表現している事が確かめられる。 日記·隨筆·紀行が<自照文學>のカテゴリの中で論議され、その自照性の與否が文學性の價値を究明する尺度である事を考える時、紀行文學としての『海道記』の文學的な潛在性は十分であろう。卽ち、著者は`旅行`という媒體を通じて隱されていた自分の內面世界を凝視するようになり、その場合行『海道記』は自分の心と心の變化を間接的に細??と表現している作品であると思われる。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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