忠臣藏ものの轉用を通して、その趣向の流れにおける特色をつかむことを本稿の目的とした。 1701年の赤穗事件、1748年の『假名手本忠臣藏』、それから<忠臣藏もの>ともいえる膨大な話型が樣??なジャンルにおいて生まれた。これを可能にした背景として、大量出版時代としての江戶時代という文化的背景を見逃す手はない。だからこそ、戱作という小說散文類小だけでなく、各種のメディアの中から忠臣藏の世界はできるのである。その中から本稿では、浮世繪·繪雙六·謎繪·黃表紙·滑稽本というマスメディアを取り土げたのみである。同時に、江戶のメディアの中心作家として創作世界を廣げ、新しい創造に苦心していた山東京傳·十返舍一九を對照してみることによって、江戶という都市のものの感じ方や考え方(例えば、遊びの文化としての影繪、繪文字、文字繪という判じ物の大流行)が考察できた次第である。