現代日本語の授受動詞の``やる類``は、非敬語として``やる``と``あげる``、敬語として``さしあげる``があげられているが、授受動詞の待遇關係は時代を遡ると現代の待遇關係とは違うと思われる。本稿では言文一致期の『當世書生氣質』『浮雲』『夏木立』『多情多恨』の授受動詞の待遇關係について述べた。``受手``が目上である場合、1880年代の『當世書生氣質』では``さしあげる``より``やる``と``あげる``の尊敬型の表現が見られた。1880年代の『浮雲』では``さしあげる``, ``やる`` と``あげる``尊敬型の表現が見られた。1880年代の『夏木立』、1890年代の『多情多恨』では``さしあげる`` ``あげる``が見られたが、``やる``の尊敬型の表現が見られなかった。``受手``が對等關係である場合、『當世書生氣質』『浮雲』『夏木立』『多情多恨』では``やる``が使われた。``受手``が目下である場合、『當世書生氣質』『浮雲』『夏木立』『多情多恨』では共通的に``やる``が使われた。1890年代の『多情多恨』では受手が目下であっても、``あげる``の使用がよく見られた。``やる類``の``やる`` ``あげる``の敬意度は『當世書生氣質』『浮雲』より『多情多恨』のほうが低くなったのが分かった。``あげる``の敬意度が低くなり、``さしあげる``の使用は增えたのが分かった。