本論文では、まず第1に、澤田(1993)の硏究を通して日本語の樣態素「だろう、う(よう)、まい、ようだ、らしい、(し)そうだ」が時制制約の違いにより「だろう、う(よう)、まい」に代表される主觀的樣態素と、「ようだ、らしい、(し)そうだ」に代表される客觀的樣態素に分類されること、その歸結として主觀的樣態素は屈折せず、過去の意味をもたないこと、さらにその形式が包んでいる命題內容はテンスを含んでいなくてはならないことを紹介する。第2に、「겠、ㄹ것이다、가보다、듯하다、ㄹ것같다、모양이다」などの韓國語の樣態素の時制制約を考察した先行硏究は皆無であること、第3に、韓國語の樣態素「겠、ㄹ것이다、가보다」に日本語の主觀的樣態素と同樣の時制制約が適用されることから、これらの形式を主觀的樣態素として客觀的樣態素から區別しなければならないこと、第4に、[+接近可能性]と[現實性]という意味素性を考慮することによって、韓國語と日本語の主觀的樣態素の時制制約が生ずる理由とそれらの形式がとる統語構造を說明できること、最後に、韓國語と日本語の主觀的樣態素の時制制約に反する樣樣な反例をも說明する。