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KCI 등재
아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)와 조선 -조선인식의 변천을 중심으로-
日本文學,日本學 : 芥川龍之介と朝鮮 -朝鮮認識の變遷を中心として-
조경숙 ( Kyung Sook Cho )
UCI I410-ECN-0102-2008-730-002568599

朝鮮の獨立という名分をとなえて日靑戰爭の起こる三年前の1892年に生まれた芥川は、日本帝國主義の土台を築き續けた明治帝國主義の中で、學生時代(小學校1898-高校1913)を送った。そして、日露戰爭の勝利で西洋帝國主義と肩を竝べた日本帝國主義の安定ととも、大正デモクラシ-の中で、ロシア革命の影響で1920年代擴張し續けた社會主義のなかで、また軍國主義の勢力が膨張しつづける昭和初期の1927年まで、10余年の間,大正期の作家として芥川が活躍したことは主知の通りであろう。35年4ヶ月といく長くない芥川の生のなかで、朝鮮と關連づけてみると、觸れたとおりの日靑戰爭と日露戰爭があるだろう。そして、明治維新後の征韓論以來、徐徐に朝鮮を植民地化する過程を經て、1910年名實ともに日本の植民地とした韓日合邦があった。そのなかで、芥川が朝鮮を直接經驗したことは、1921年大阪每日新聞の海外特派員として中國旅行の後、歸國の時、朝鮮を經由したのが、唯一無二の朝鮮經驗だといえるだろう。勿論1923年の關東大震災の時、朝鮮人等の虐殺に加えたという自警團員であったことも見逃すことはできないが、それは日本國內での朝鮮經驗であった。 そして、そのような經驗を通して、朝鮮についての芥川の認識は變化していくのであるが、それを簡略まとめてみると、次のようである。まず、歷史上の人物の加藤淸正を通してみた朝鮮というのは、潛在されあらわれたといえるのであろう。それは、日本武士と武士道、そして、ひいては日本歷史についての强い誇りを持っているし、その底邊には朝鮮についての優越感もあることがわかった。そして、作家となってからは、彼の作品の素材として朝鮮を表象している小品等として登場されている。それが、「朝鮮團扇」であり、また明治初期、朝鮮への往來とは危險性を內包しているにもかかわらず、なんの抵抗感なしに朝鮮を往來したり、朝鮮の名稱についてもなお「韓國」「朝鮮」がともにもちいられたりしていることからも、また、「高麗劍」という存在からもそれがうかがうことができた。これらの素材の表出は、朝鮮の植民地であることを作家が自然に受け入れていることが端的にあらわれている一例であるといえるのであろう。そして、中國旅行と關東大震災の經驗を通じて、芥川の朝鮮認識は相對化され、具體化された他者としてあらわれるが、「金將軍」がその代表的な作品であろう。假に、この「金將軍」にみられる芥川の他者認識というのは、植民地朝鮮の現實の認識を考えた「皇國史觀の批判」というよりも、日本歷史の粉飾を正當化させてくれる危險性の盛り入まれている。また、その他者認識は最晩年の「虎の話」と「夢」では、弱者認識につながっていることもうかがうことができたが、これもまた、日本帝國主義についての批判意識をともなう植民地朝鮮認識までは至らなかった。結局、自國中心主義日本中心主義から脫し得ないことであるというのが、歷史上で、そして通念化された植民地として、他者認識から弱者認識まで變遷されあらわれた。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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