日本は明治維新以來、急激な社會轉換期において文學がその本來の役割以上に過重な使命を背負うようになった。つまり、近代文學は日本近代化という大きな流れの中で、歷史の進步と發展という大前提の下に、强い啓蒙主義的傾向を帶びるようになった。從って女性は疎外者として取り扱われて今まで男性を主とする社會制度に順應してきた女性は個人としての主義、主張などを持つことが出來なかった。本論文は今まで男性中心文學史において度外視された女性小說の發見と再評價を通して女性作家の書き方を探究しようとするのが目的である。女性作家の作品は女性特有の人生觀に價値觀が投影されるという前提の下に長い間、荒蕪地や邊境、接境地帶にあって不在と不可視性、沈默等の指標として見なされてきた女性小說を讀み直そうとすることである。芙美子のアナ-キ-な感性と想像力は、戰後の廢墟と荒廢にそれまでの日本社會と家父長的家族の崩壞、それと一緖に日本的な男女の二項對立關係が壞れていく樣相を見とり、その荒廢と混亂にみずからのジェンダ-表現をエネルギッシュに行っていった。『浮雲』の外に今まであまり硏究されていない『雨』、『骨』、『河沙魚』、などの作品分析を通じて女主人公の女性性について深ってみた。林芙美子の作品硏究は『放浪記』、『浮雲』、『晩菊』は活發的に行われているが、その他の作品はあまり活發的に硏究されていない實情である。今まであまり硏究されていない作品を分析するに至って色色足りない面が多かったと思う。今後の課題はそういう面を補って全集に入っていない作品を中心として林芙美子の文學的源泉と成果を論じることである。