本作品で芥川は、明治初期の文明の價値、つまり開化の理想を、日本人固有の美的感受性が日本に流入された西歐の文物に動き東西の文明を融合させ創出した明治初期特有の調和の美として提示している。主人公の三浦はそのような明治初期の文明を體現する人物であり、彼の理想である「愛(アム-ル)」は、彼の美的感受性が西歐の罐念<アム-ル>に動き新しく創出した精神的美として、少しも現實的條件を省みることのない純粹で眞正なる<無償の愛>を意味する。そのように明治初期特有の美を象徵する三浦の理想は、しかし現實的欲望が蔓延る醜惡な開化の現實によって蹂躪され、結局、以後の日本の社會から消えて行く運命を천る。が、芥川は、明治初期文明の價値が以後の日本の文明から完全に絶やされたと見做し、それを嘆き悲しもうとするのではない。三浦の理想が持つ純粹で眞正なる美は、彼の親友である本田子爵によって、結局は無謀な戰いとして終わろうとも醜惡を生む現實的欲望の力に抗って守らねばならない崇高な價値として受け繼がれ、また、そのような本田子爵の意志は作中の大正期の作家である<私>によって全面的な共感とともに受容され引き繼がれていくのである。芥川は、このような作中作家<私>の姿を借り、自分もやはり、日本固有の美的感受性で西歐の文物に變容を加えることによる新しい美の創出を理想とする芸術家であることを表明している。同時に、この理想によって創出される純粹で眞正なる美を守護し傳播するべく、これを蹂躪する現實的欲望の力に抗っていく無謀で險しい戰いを持續しようとする意志を披瀝している。