18.191.240.243
18.191.240.243
close menu
KCI 등재
중세(中世)의 무사도(武士道)에 관(關)한 연구(硏究) -겸창시대(鎌倉時代)를 중심으로-
윤영기
일본어교육 41권 135-156(22pages)
UCI I410-ECN-0102-2009-730-008446863

武士道などといえば、いまの日本人には右翼とか封建時代の遺物と否定される傾向があるが、日本人が自國の思想や自國に固有のことを說明するときには必ず出てくる言葉であり、日本文化のキ-ワ-ドの一つでもある。外國人は本當の日本の精神とは何かと思いを致す時、自然と武士道のことを思い浮べるものである。今も武士道に關する本は絶えずに出版されている。武士と武士道は忘れられた言葉ではなくて日本人や外國人に依然と關心が持たれている。特に日本人を硏究する時には欠かすことのできぬ對象の一つであろう。本論文は鎌倉時代の武士道の硏究を通じて鎌倉時代の武士の習慣と思想などを理解し、それがひいては日本を理解する一つのきっかけになればと思って書かれたものである。今日の歷史用語としての「武士」という言葉は平安末期に現れ、武を職能とする者であることの外に、あるいは橫に連合し、あるいは縱に主從官係を結ぶ領主階級である。そして武士道は日本の長い封建社會のなかで、特權階級の武士が守るべき道德律として誕生した。鎌倉時代には武士が歷史の主役としての地位を固めて將軍と主從關係を結んだ。まず、武士は自分の名と恥を何よりも重視したが、名と恥の思想のほかに武士の生き方として重視されるものに、恩の思想がある。自己の主人(將軍)から家臣(御家人)に與えられる保護、それは生命.財産.名譽など武士としての全存在にかかわるものであるが、主要な御恩は所領と稱する土地財産に關與する保護であった。鎌倉時代には、この御恩は狀軍から御家人の戰場での功績や宮仕の忠勞などの奉公により與えられたが、いわゆる「所領安堵」をしてくれる主君に對して、これを有難く重い、その者に奉仕すべしとする雙務的な行爲の規範である。この「御恩と奉公」を基盤に鎌倉幕府が成り立っていたのである。この主後の結合は「御恩と奉公」の關係となり、主從兩者が共に反對給付を義務づけられた關係にあるため、從者の側からすれば奉公の反對給付である經濟的物質的報酬(御恩)を獲得する手段として奉公が行われ、主君はこの御恩によって從者の奉公を買取るのが當然であると現實的な視点から理解されている。したがって、主君の情の恩は「經濟的な恩を補强する役割をもつに過ぎない」と結論づけられたのである。また、このほかにもうひとつ重要な關係があった。それは「御恩と奉公」の利害打算を越えた堅い人間的な情誼的結合が形成された、先祖以來の譜代關係に基いている。その關係は主君に對する「無我の獻身(情誼)」が核心となっているのである。

[자료제공 : 네이버학술정보]
×