本稿では、日帝强占期の敎育においての例話の誤謬を修身書を通して考察する。日帝强占期の誤謬と歪曲に關しては先行硏究もいくつかあるが本硏究では修身書に登場する幾つかの例をあげながら具體的かつ實證的な接近をしようと思う。まずソクラテスに對する總論的な市中認識の誤謬を指摘し、その認識の誤謬が植民地社會を通じて現代の敎育に定着するまで、我が國の敎育にどんな影響を及ぼしたのかを分析することにした。その結果、現在に至るまでのソクラテスに關する誤った市中認識は日帝强占期の尾高朝雄という法學者によることがわかった。また修身書に登場するソクラテスに關する例話も原據を檢討せずに記述したため誤ったものであり、崔碩の例話も原據である高麗史を十分に檢討しないまま記述した故のミスがあることがわかった。ところでここでもっとも重要なのはこういう修身書を學ぶ側がまだ價値觀が確立していない'兒童'であったことである。誤った認識の裏面には歐米や日本の文化を受け入れる時において、無批判的で、盲目的に吸收している態度と、そして當時の日本による、日本語を通じた重譯中心の硏究風土も指摘することができる。結論として當時、敎科書の執筆者達の原據を忠實に檢討しなかったいい加減な態度と、日帝强占期という時代的な特殊狀況からこのような誤謬が生じたのではないかと考えられる。