川端康成の戰後を言う時、<日本回歸宣言>による日本傳統美への傾倒を中心に語るのが一般的である。その時の日本回歸宣言というのは<私はもう死んだ者として、日本の古來の悲しみに歸るばかりである。>で代表される。今までの硏究では日本の古來の悲しみに歸るに焦点を當てて、川端の戰後は古典及び、日本の傳統美を中心に論じられてきた。本稿では、川端が日本回歸を宣言のなかで<死んだ者>と表現するぐらいの敗戰による精神的な衝擊ともいえる<敗戰意識>に焦点を當ててみた。そして、日本回歸宣言は敗戰意識に觸發されたことを究明することと、それが評論·小說にどのように表れているか考察するのが目的である。川端の敗戰直後の作品には敗戰による絶望感を赤裸裸に表わしたものが存在する。「生命の樹」では、戰爭で死んだ特攻隊に殉ずる決心をする女性が登場しいるが、これは戰爭での死に對する挽歌として意味づけることができた。「再會」では戰前、愛人關係にあった祐三と富士子の關係回復を通し、日本の戰前の國家的狀況への復活という念願が讀み取れた。「舞姬」では敗戰直後の社會的狀況、その中での敗戰による精神的絶望、そして文學の新しい方向として日本傳統美の展開、後期の主題の魔界の登場など、川端の戰後の文學世界が理解できる多樣な要素が含まれていたことが分かった。そのすべての出發点、要因になるのは戰爭であり、敗戰意識であったことも明らかに表れている。古典回歸宣言が川端に日本の傳統、古典主義に傾かせたすると、敗戰直後の作品にみられる敗戰意識はその出發点として位置づけるべきである。すなわち、<戰爭><敗戰意識><日本傳統美><魔界>としてその流れを描いてみることができるだろう。そういう時、敗戰意識は川端の戰後文學の出發点であったといえよう。