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KCI 등재
근,현대 단카의 미디어 활용 연구 -요사노 아키코와 타와라 마치의 비교를 중심으로-
近代短歌のメディア活用に關する考察 -與謝野晶子と俵万智の比較を通して-
박지영
세계문학비교연구 29권 175-201(27pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-800-000847493

メディアとは、文學作品の存在する基盤を成す技術的、文化的環境の總體であり、作品の生産と消費のシステムとして機能する。本稿では、このメディア環境を文學がどのようにして主導的に活用できるかという問題に着目し、傳統ジャンルである短歌が變化するメディアに適應し、時代の要求する新しい表現の可能性を探っていく樣相を考察した。テキストの『みだれ髮』と『サラダ記念日』は、短歌史上由來のないベストセラ―である。從って、この二つの歌集が文化史的な事件というべき成功を爲し遂げた要因をメディア環境との關係を中心に比較してみた。與謝野晶子の時代は、印刷技術の飛躍的は發展とともに視覺メディアが導入された時期である。『みだれ髮』は逸早くこの視覺メディアを活用した先驅的な歌集だと言える。西洋畵家の手による세落た裝幀や揷繪は晶子の短歌に內在する豊かな色彩感や映像感覺をより效果的に傳え、難解な表現にも關わらず讀者の共感を催すことができた。『サラダ記念日』は日本經濟の全盛期であった1980年代の後半期を背景とする。コマ―シャル·メッセ―ジの文法で言語を驅使する俵万智の短歌は、この時期注目された廣告コピ―という新しいメディアを活用し、短歌を消費社會に相應しい商品として大衆化したと思う。二つの歌集が讀者に注目され、社會的なイシュ―を作り出す過程では、『みだれ髮』の場合、結社とその機關誌の役割が目につく。西洋畵家を起用し、新しい文化の流通できる土台を作り、戰略的に作品を話題化した新詩社と『明星』が二十世紀の初の出版市場を主導したメディアとして機能したのである。反面、『サラダ記念日』の成功は、河出書房新社という大手出版社の企畵と廣告戰略によって作られたもので、結社の役割は徹底的に排除されている。これは現代短歌の結社が進みつつある出版界全般の商業化に對處できないということや、大衆に向かう開かれたメディアとしての自己改革が必要であることを示唆する。『みだれ髮』と『サラダ記念日』の受容樣相は、短歌というジャンルがメディア環境を活用しながら發展してきた同時に、自らメディアとして동いていたことをも示してくれる。『みだれ髮』の口語體現代語譯である俵万智の『チョコレ―ト語譯亂れ髮』は、晶子の世界を現代の日常空間の中で再生するメディアとして동いている。同じ見方で、晶子の短歌は平安時代の文學を同時代の讀者に喚起させたメディアであったと言える。卽ち、晶子と万智の短歌は、時間と空間を越えるメディアとして、傳統的な主題を擴張し、再創造していく可能性を示していると言える。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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