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부세회(浮世繪)에 그려진 강호(江戶)의 이대(二大)문화의 원천-길원(吉原)와 가무기(歌舞伎)
The source of two major culture of the Edo era drawn on the Ukiyoe print-Yoshiwara and Kabuki
이미림 ( Mi Lim Ryee )
다문화와 평화 3권 2호 137-169(33pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-330-000891569

本論文の目的は、近世江戶における都市の惡場所と呼ばれる吉原遊廓と歌舞伎芝居の意味するものについて考察することにした。江戶時代の惡場所とは、”惡”場所であるとともに、惡の”場所”である。惡場所の場所はもともと流れの女であった遊女の喪失によって出現した近世的都市空間のなかでの”場”である。その惡場所はおそらく二重の意味において惡場所で、そのひとつは、制外者集團としての差別館によって、いまひとつは、定住民の日常的な場と異なった、ある種の超越的な”場”の館念によってであろう。遊女のみならず公界者によって都の一角にいとなまれる惡場所とよばれる特殊集團とそこで生をよぎなくされた遊女は、いったい何であったかをあらためて問いただす必要があるだろう。すなわち當時の男性において一種の解放地、一方、遊女においてあきらかな除外地であった廓の兩義をとらえて”二重構造の惡所”は今回の論文を考えるときの、必要管見の一つである。今回の論文では江戶時代に描かれた浮世繪美人畵や役者繪の畵面による比較、照明をためしてみた。遊女たちは經濟學的に、その制度によって作りだされていった商品と同じく表象されている。遊里の最高のレベルの大夫さえももともとは選ばれていたが作りだされた商品の女である。そのことが歌마などの當時の浮世繪師の作品に明らかに描かれてた。しかし、當時同じく都市の惡場所と呼ばれた芝居の主役。すなわち役者は明らかに遊女とは異なる結果をたどる。1946年の公娼廢止法、1958年の賣春防止法により江戶時代の二大惡所のうち、役者空間である歌舞伎は芸術空間に昇格し、遊里は娼婦の空間に戰落に今日に到る。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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