『西行法師家集』の作者原本はどのような本文であったのか、現在のところ判然としない。しかしながら、作者原本以降のその本文の變化の實態を明らかにしておくことは、作品批評に不可欠である。その檢討の一貫として、本稿では、管見に入った『西行法師家集』諸本間の本文異同について、諸本大別グル―プ分けに關わる異文を取り上げて檢討した。その結果、諸本は歌本文の異同から次の三つのグル―プに大別できる。○A群: 李花·國學·葉室·東大甲·共立·天理甲·慶應·中央 ○A`群: 內閣甲·三原·東大乙·石川·岩國·犬井·河野·版本 ○B群: 資料·細川·天理乙·伊藤·內閣乙·久保田·日大·東與·書陵(*大東急本). A群とA`群の本文關係はA群からA`群へとその流れが想定できる。A群の本文に對してA`群が異文を持つ箇所は、量的には多いが、質的には小異と見てよい。それらの大半が不注意または誤讀·誤解による誤寫·誤脫などが生じた誤謬の本文であるからである。A群とB群の本文關係は、量的には多くないが、質的には大異のあるものがある。いずれの本文によって讀んでも歌意が取れるものが殆んどで、いずれの本文がこの集として本來のものかは、輕輕には決められない。A群は、李花·國學·天理甲·東大甲本が室町期の寫と言われる。李花·國學·共立本が1351年(觀應2年)の頓阿及び周嗣の書寫與書を有する。一方、B群は、久保田·日大本が室町期の寫と言われる。東與·書陵本が1348年(貞和4年)の頓阿の相傳與書を持つ。この書誌的事項からすると、『西行法師家集』は、南北朝期において、旣にA群とB群の二樣の本文を以て讀まれ、享受されていたことが推測できる。いまのところ、A群かB群か、二者擇一よりも、A群はA群として、B群はB群として、それぞれの信賴し得る本文を定めることが肝要であると思われる。なお、大東急本は混合本であると見て、グル―プ分けには參加させない。