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KCI 등재
日本文學,日本學 篇 : 幻卷における光源氏の實像 -罪と悔恨を中心に-
김홍래 ( Hong Lae Kim )
UCI I410-ECN-0102-2012-730-001704130

本稿は幻卷末の「昔の御光にもまた多く添」う光源氏の實像を論じたものである。幻卷にはご都合主義的ともいえる獨自な思考に寄り添うように道心を深めながら、その一方で、紫上を傷つけていた若き日の行爲を後悔する晩年の光源氏が印象的に描かれている。その中で紫上に關わる過去の回想は目の前の景物や人物から紫上に對する回想へと自然に태っていく、回歸的回想形態を見せている。このように眼前の景物や人物から紫上追慕へと태されていく光源氏を描くことは、紫上を光源氏が生涯最も愛した女性へと作り上げる作者の構想である。一方で女三宮が降嫁した雪の後朝の回想は紫上に對する光源氏の「罪」意識を垣間見せる。朝顔卷や若菜上卷の「罪もなしや」の會話文に見られるように、光源氏は朝顔と結婚しようとしたことも、女三宮を六條院に迎え入れたことも、「罪」として意識しない。しかし、朝顔や女三宮の場合は、その高貴な身分故に、結婚という社會の規範に關わるものであり、その內實は自ずから異なる。また、朝顔との結婚が實現しなかったことからすっかり安心していた紫上からすれば、女三宮降嫁は彼女の信賴を光源氏が裏切ったものである。光源氏はこのような昔の過ちを思い出して悔い改めている。幻卷は物語の進展のない、光源氏の晩年を傳えるものとして考えられてきた。しかし、單調に流れる四季の移り變わりとは對照的に、紫上回想と悔恨、人人への執着のように、光源氏の心內は激しく搖れ動いており、物語の進展が全くないとはいえない。幻卷末の光源氏の「光」は、深い道心を持った求道者の贊美であると共に、最愛の女性の死を哀悼し淨化する、希有な「色好み」の美しさでもある。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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