本硏究は、2009年に韓國國內で發見した日本の俳諧關連資料に關する報告と基礎調査である。資料の出所と元の持主についての詳細なことは知らないが、現在の持主から植民地時代、木浦で活躍した日本人から入手した資料であることだけは分かった。朝鮮で日本近世韻文文學の主琉である俳諧關連資料が多數發見されたことに對する鷲きとともに、一體植民地時代、どのように俳諧活動が行われたか、氣になるところである。今回はその初めての作業として掛け軸と短冊、總7点について俳人及び作品について檢討し、俳諧文學史において各俳人の位置付けと作品の成立過程、そしてその作品の意味を考察することができた。しかし、日本ではなく韓國で發見されたこれらの資料が持つ多樣な意味については、これから一層詮索すべきである。植民地時代、日本人移住民によって作られた日本人村では、彼らの鄕愁を慰めるため頻繁に俳句活動が行われていたことは先行硏究からも窺い知ることができたが、本硏究で紹介した諸資料はその人人を指導していた俳人が收集し、句會がある時ごとに參加者に紹介するために個人的に保管していたものではないかと考えられる。そういった役割をしていた日本人の一人が、まとめで紹介した「奈良次郞」という木浦財界一の人物ではないかと考えられる。