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KCI 후보
梶井基次郞『過古』論 -作品中における「旅情」をめぐって-
김순희
UCI I410-ECN-0102-2012-830-002624709

梶井基次郞は、死後、世に知られるようになり、彼が殘した作品などは「昭和の古典」と呼ばれるぐらい有名になった。『過古』は、1926年1月1日『靑空』, 第11號に發表され、『녕몽』に收まれた作品である。題名は『過古』になっている。原稿依賴時には『過去』であったが、梶井は『過古』にした。『梶井基次郞全集 第一卷』の「註」に「諸本みな《過去》としてゐるが、『靑空』の目次に据り《過古》とした」とある。作者梶井基次郞は、1901年2月17日、大阪市西區に、父宗太郞、母ひさの次男として生れた。梶井8歲の時、父の東京への轉勤が決まり、大阪市から一家が上京したが家計は火の車であった。習作『不幸』は、この頃の回想をまとめたものだとしたら、續く、習作『궤』は、當時, 梶井9歲の暗く侘しかった少年時代が描かれている作品だと言える。さらに、『過古』に描かれているのは、東京の家を去る時の情景を下地にしている。梶井の東京における少年時代は、暗い思い出であった。このような梶井基次郞という稀有な生涯が生み出した作品の硏究にあっては、作品背景はもとろんながら傳記的な事實の解明は重要であると思った。むろん、作家と作品を切り離すことはできない。しかし、論者はあくまでそれは副次的なものであると論者は考えている。やはりテクストを重点的に讀んだうえで、そこに浮き彫りになる問題の解明にあたっていかなければならない。特に、作品中における「旅情」を理解するためには、時間とともに主人公「彼」の心境を探り出す必要があったので、便宜上、テキストを第一場面から第四場面に分けてみた。分析の結果「旅情」というのは、また「彼」に過去の記憶が表出した際の、言い表すことのできない感情を包括するものとして作品のなかで用いられていると結論づけた論である。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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