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KCI 등재
일본 마이너리티문학의 양상과 가능성 -오키나와문학과 재일한국인,조선인문학을 중심으로-
강우원용
일본연구 14권 203-225(23pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-002952711

本稿では日本文學におけるマイノリティ文學を取り上げ、どのようなマイノリティ文學が存在するのかを說明し、その意味と問題点について檢討する。多數派の反對側に位置する少數派はどの時代にも存在した。ところが、その少數派の聲に耳を傾けはじめたのは、それほど歷史が長くない。最近、文學の近代性に關する再評價と共にマイノリティ性についての關心が高まりつつあるが、本格的な硏究はまだなされていない。マイノリティ文學は多數の言語を以て少數性を實驗する文學である。つまり少數派の言葉で試みられるものではなく、多數が構築した空間の中で、主流や權力の言語內部に屬する。多數の政治性を批判し、植民地政策に反對するマイノリティ文學といっても、その聲を發信するためには、主流の文壇に從屬しなければならない生まれつきのジレンマを抱えている。もっと直接的に言えば、主流文壇の芸術的な基準によって價値が認められた場合でないと、マイノリティ文學として獨り立ちできない。しかし、むしろこういった構造におかれているからこそ、マイノリティ文學は多數の秩序を貫き、再構築できる可能性を內包する。マイノリティ文學と主流文學は相互依存的で、補完的な關係にある。マイノリティ文學は多數の中で少數性を追求することで多數を變化させる力が發揮できる。そして、支配秩序に對するマイノリティ文學の異議提起は、結果的に支配秩序の透明性を保證する道具として動く。本稿でマイノリティ文學として取り上げる沖繩文學も、在日韓國人·朝鮮人文學も例外ではない。琉球人在日といった少數集團の意識は、中央日本と違う自らの感覺、傳統性、被害の記憶と一緖に現代日本文學の一部として位置づけられている。主流の日本文壇にとって彼らの存在は余計者ではない。むしろ旣存の日本文學が把持できなかった文學の社會性や政治性を達成した点で、新しい日本文學の可能性を見出している。マイノリティ文學がマイノリティ性を無くした途端それは忘れ去られるだろうが、マイノリティであるかぎり、マイノリティ文學は多數にはない、マイノリティ文學獨自の可能性を提示し、主流を刺激しつづけることができる。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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