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『쓰레즈레구사(徒然草)』의 유직고실(有職故實)적 단(段)에 관한 고찰
엄인경
일본연구 4권 153-167(15pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-003012887

『徒然草』を構成する內容範圍は極めて多岐にわたっている。多樣な內容の中に有職故實的な章段と呼ばれる一群がある。有職故實的章段は、作品全體のなかでかなりの比重を占めてはいるが、積極的に語られたり意味合いを問われたりしたことはあまりなかった。本稿では、ま差有職故實の意味を察し、兼好の生きた時代における有職故實の意味を追及してみた。兼好は神道關連の家の出で、出家はしたものの時代と自分の身分及び時に對する正確で銳い觀察眼をもっていた人物である。兼好が生きていくためにとった方便が有職故實だったともいえるだろう。そういう見方がとれるなら、『徒然草』の中の有職故實的な章段は、今までの通說通りに單純な趣味的記錄と見るには違った感じで見えてくる。作品で一番最初に有職故實に關する內容が登場するのは第33段と第34段である。個別記錄としてではなく、前段とのつながりを積極的に見つけだそうとこころみた。作品の內面での問題だけではなくて、『徒然草』の有職故實的章段は中世の說話集ともかかわりがあると思われる。故實說話と呼ばれる類がある。公事という部をもつ說話集には『江談抄』『十訓抄』『古今著聞集』『古事談』などがあるが、祭りをはじめ年中行事、ものの起源などへの深い關心が見られる。『徒然草』の有職故實的な章段の一番主流といえる內容と重なることがわかる。そういう段の指向というなら、それは話題に對する典據及び本說、根元または本質であろう。動亂の時代に、ものごとの本來の意味と起源を根據とする法式と典據をたいせつに扱うこういう章段は、當時の權威と名分をつかみだそうとする努力の一環から出たものとみることができるだろう。一方、『徒然草』の思想的側面をいうとき、儒敎·佛敎·道敎との關連性の上で論じられる場合ていくとき、見過ごせないのが、道敎と神道の密接性である。兼好の時代、神道界では鎌倉佛敎の隆盛に對する對抗意識から著作活動なども盛んだったが、その理論を體系化し論理を展開するとき老莊思想を援用しているからである。これを考慮にいれると、宮廷を中心にする規範から出發する有職故實は、天皇をその頂点に置く神道と、決して無關係ではないことがわかる。本質にこだわる『徒然草』內の表現と有職故實的な內容の敍述とは、神道的側面にまでつながると思われる。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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