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『세켄 무스메 가타기(世間娘氣質)』의 구상(構想)
고영란
일본연구 4권 169-184(16pages)
UCI I410-ECN-0102-2012-830-003002869

『世間娘氣質』と『世間子息氣質』の先行比較硏究は主に兩作品の話素の類似点と相違点を擧げることであった。本稿では兩作品の話素の比較により得られるものを追って行きたい。これは『世間娘氣質』をはじめ氣質物の特徵を把握する上で大變有效な作業であり、浮世草子史上の『世間娘氣質』の位置づけとも關連してくる。その方法として、兩作品の序文、導入部、本論、結末部の順に具體的內容を確かめていくことにする。本稿で行われた比較分析の結果、明確になったことは次の四点である。第一に『世間娘氣質』の序文を『世間子息氣質』、『本朝二十不孝』の二つの序文と比較してみると、本作品の一次的執筆意圖は單に娛樂性にあると考えられる。第二に、江島其적は『世間娘氣質』に對する讀者の期待、卽ち『世間子息氣質』を繼ぐ氣質物であるので前作と同樣、娛樂性の裏面に敎訓性を有しているであろうという讀者の期待を裏ぎって、作品の導入部より逆轉の面白さ、つまり意表を突く話素を展開させる。第三に『世間娘氣質』は全17の話素のうち、8の話素を『世間子息氣質』と共通の話素にしているという点である。卽ち『世間娘氣質』の執筆は『世間子息氣質』を前提にしていることには間違いないと言えるのである。最後に序文と導入部で江島其적の『世間娘氣質』の逆轉の意圖に氣づいた讀者は本作品を『世間子息氣質』と『本朝二十不孝』のうち、自然前者に近いものとして讀み進めたであろう。しかし、最終章に至り作者はもう一度彼の得意技である逆轉の修辭學を驅使する。結論を急げば、『世間娘氣質』は『世間子息氣質』の影響を最も濃厚に受けた点は認めながらも、その構想に於いて『世間子息氣質』を意識したと同時にこれを逆轉させ用いようとした点にも注目すべきである。これは『世間娘氣質』の導入部により證明された。そして、江島其적はもう一度讀者の意表を突き、逆轉の發想を用いて結末部に『世間子息氣質』よりは『本朝二十不孝』の構想を明確に用いるのである。したがって、江島其적は『世間娘氣質』の執筆に於いて、文章の修辭法としてのみ逆轉の手法を用いるのみではなく、この作品の全體の構想に於いても逆轉の手法を採ったと言えるだろう。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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