二葉亭四迷は同時代或は後世の人人から文學的業績を認められながら、彼自身は「文學は嫌いだ」と公言し、文學を抛棄するに至る。彼が文學をあきらめた理由の一つとして、彼が自己の文學的理想と作品が矛盾していることに氣付いたためであると私は考える。二葉亭四迷は幼年時代漢學を通じて儒敎的感化をうけ、これは彼の性格上維新の志士肌として現れる。儒敎から影響を受けた「文學經世」、「文章經國」の理想のもとで彼は愛國の一つの方法としてロシア語を學び、外交官になる道を選ぶ。漢學とロシア文學という二つの傾向は彼の國家主義の基盤になるのである。このような背景の中で二葉亭四迷は初めての創作作品として「浮雲」を發表する。彼の文學者としての使命は「國家の大勢」を描くのである。しかし「浮雲」は彼の意圖した、社會、文明の批判的な要素は薄くなり、お勢の戀愛を通じた主人公の文三の苦惱が中心になっていく。彼の國家主義を基盤とした國家や社會という共同體を描くべき文學者の使命は達成でき差、文學を抛棄するに至るのである。このような「二葉亭四迷」と「浮雲」との矛盾から來た二葉亭四迷の文學抛棄は明治20年代、小說という新しい槪念を成立させていく文學環境の中で起きた作家の思想と作品との乖離の現れだと言えよう。