本稿は東日本大震災の以降、天皇への大衆的な關心の再浮上に關する政治的·社會的·心理的背景の分析を試みている。震災以後、天皇はビデオ·メッセ一ジや被災地訪問などの動きを演出しながら、大衆的な無關心に放置されていた皇室の存在感を反轉させることに成功した。それに災害の除理をめぐって政府の現わした無能や失敗を背景に、天皇は?家に代わる?力として見なされることもあった。災害の社會的空間におけるこのような天皇の浮上についての本稿の論旨は次のようである。災害と復興を語る天皇の言語は「理念」を欠ていた。また被災地で現れた天皇の行動はいかなる發威をも否定するかのような態度で示した。すなわち天皇の慰安は、理念と發威の「不在=欠如」をその中心的な論理としているのである。一方、政府の慰安が被災民から否定されたのと違って、天皇の慰安は好意的に受け止められた。こうした現象は天皇が何より災害をめぐる政治的な責任から自由である、いわば「象征天皇」であることと無緣ではない。言い換えれば政治的に「無害な君主」という位相が、災害の?理をめぐって政治的な攻防がおこなわれる社會的な空間において、天皇の慰安を純粹なものにしたといえよう。震災直後の平成天皇の言動は、間違いなく昭和天皇の「終戰の勅語」と「全國巡行」を模倣したものである。しかしながら、震災社會の日本における天皇はより「純化」された象征天皇に近いように見える。その意味で、震災以後天皇制の政治的·社會的な在り方については「現代性」に注目した理解が求められるのである。