今日、江戶戱作は、<國文學>あるいは<日本古典文學>という樺組みに當り前のように入っている。しかし、明治時代の言說空間は、江戶戱作をどう位置づければいいか、樣□な立場から困難さを示していた。明治時代は木版印刷から活字印刷へと、印刷術の變化により、江戶戱作が多量に復刊された。それと同時に幾つかの國文學史も相次ぎ出版された。それら國文學史は槪ね敎科用の書籍であったが、では、それら國文學史は、當時流行っていた江戶戱作をどう評價し、かつどう位置づけていたのか。本論では、明治時代の主なる國文學史と言える①芳賀矢一·立花銑三朗編、『國文學讀本』、富山房、明治23(1890) ②上田万年、『國文學』、雙二館、明治23(1890) ③三上參次·高津초三朗、『日本文學史』上下、金港堂、明治23(1890) を中心として探ってみた。その結果、それら文學史は江戶戱作を取り上げることにおいて相當な困難さを示していることがわかった。それは江戶戱作の遊戱的もしくは猥褻野卑なる傾向のためで、當時は東京帝國大學を中心として、新しい國造りの一つとして國體を强調する勢いだった。つまり、遊戱的もしくは猥褻野卑なる江戶戱作こそ、國體の精神には符合していない<國の文學>だという理由から、江戶戱作をありがままに取り上げることにおいて困難さ、あるいは搖らぎを示していたのである。
With the introduction of typography, the history of Japanese literature and Edo Gesaku(ficition) was published in the Meiji era. How the history of Japanese literature did to evaluate against the entertaining and obscene Edo Gesaku(ficition)? I``ve searched around the 1)Yaichi Haga·Senzaburo Tachibana『Kokubungaku(Japanese literature) Dokuhon』(1890) 2)Manen Ueda『Kokubungaku(Japanese literature)』 (1890) 3)Sanzi Mikami·Kuwazaburo Takatsu『The History of Japanese literature』 (1890) in this paper. What is mentioned about Edo Gesaku(fiction) was difficult to them. It was because of the entertaining and obscene trend of Edo Gesaku(fiction). In other words, Edo Gesaku(fiction) is because do not conform to the spirit of Japan.