本硏究は日本の祭り(祀り)を再檢討するため、伊勢神宮の式年選宮に注目しながら國家神道の視点から考察することを目的としてる。伊勢神宮の本殿は佛敎以前の日本民族のアイデンティティを表すものとして言われてきた。したがって、式年選宮は万世一系の天皇の正統性をあらわす儀禮でもある。伊勢神宮は天皇家の皇祖神である天照大神が祀られている神社である。國家神道は伊勢神宮を頂点として全國の神社をピラミッド構造として體系化した。つまり、この時期、すべての神社は天皇の宗敎的權威を受けることになった。神道が祭りの宗敎であるとすれば、すべての神社は祭りに對しても同一な認識を受け入れることになったとも言える。しかしながら、雛祭りの雛流し、大阪天滿宮の天神祭など日本の古代における祭祀の儀禮的性格を分析すると、惡靈や怨靈など「負の靈的存在」が祭祀の對象になっている。つまり、これらは「神を迎えて送り出す」という祭りをまぐる一般的知識とは異なる性格をもっている。したがって、日本の祭りを祭禮的から再考するには、曖昧な「神」去來思想に基づいてみるものではなく、國家神道の以前· 以降を認識したうえ理解することも必要と考える。
To study the shikinensengu of Ise Shrine is very suggestive to reveal the political, national characters of matsuri in Japan. Matsuri has the character of sacrificial riot at shrine, and Shrine has deep relation with the modern Japanese emperor system. Ise Shrine, which placed at the center of this national emperor system, influenced deeply all the matsuries in Japan. Therefore, it is necessary to reexamine the present form and concept of matsuries, since they have politically influenced culture.