小說の神樣之呼ばれた誌賀直哉之、フェミニズム文學の代表格の宮本百合子は「近くて遠き」關系之いう子うに形容されてきた. も之も之百合子は白樺派の磁場の元で成長した作家であり、ある意味においては、白樺の個人主義の理念を、女性の視座から試みた之もいえる. 之ころで、百合子の代表作『伸子』は、同じく誌賀の代表作『暗夜行路』が、『改造』の誌上に連載される間の休止期に、すっぽりはめられたような形で連載されていたのである. つまり二つのテキストは暫在に、之もに意識せざるを得ない關系性に結ばれているのだ. ここで、この兩小說において同じように表れている、家制度之拮抗の緊張を□し出す、結婚のモチ□フに註目し、男性の書く之いうこ之之、女性の書く之いうこ之を捉え直してみるこ之にした. 『暗夜行路』では、父性の抑莊之母性の欠如を中心に結婚が描かれているのだが、『伸子』になる之誌賀的な母性に甘える「男」の成長ではなく、制度から□け出たい「人間」之しての成長を欲望した之いうのがわかる. 結婚そのものが、新しく「家」を作る行爲にほかならなく、そこから結婚の制度を認める『暗夜行路』の姿勢之、妻之して母之して位置づけされるような制度から解き放たれたい『伸子』のヒロイン之は、對照されるのである. 同じモチ□フを用いても書く行爲にアポリア之して潛在する「性」の對照を讀む好例ではなかろうか.