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KCI 등재
식민지 조선의 『만요슈』-두 개의 국민과 문학전통의 교착
植民地朝鮮の『萬葉集』 - 二つの國民之文學傳統の交錯
박지영
UCI I410-ECN-0102-2015-800-002087768

この硏究は、日帝時代の植民地朝鮮に共存した朝鮮人と日本人が『萬葉集』をどのように受容したかについて考察したものである。太平洋戰爭期の朝鮮に『萬葉集』を紹介した記事の中で、最も本格的な荻原淺\男の「萬葉名歌の解釋と鑑賞」と岸曙(金億)の「萬葉集抄譯」を比較し檢討した。在朝鮮日本人を對象にした「萬葉名歌の解釋と鑑賞」は、「天皇から庶民まで」という萬葉觀や防人歌を强調していた內地の古典敎育とは異なり、天皇との關係を强調する側面が際立っていた。すなわち、「外地」である植民地で彼らが『萬葉集』に求めたのは、眞の日本人としてのアイデンティティであり、內鮮一體を主導していくという使命の確認であったといえる。朝鮮人を對象とした岸曙の「萬葉集抄譯」では、忠君愛國の精神よりは男女間の戀や家族愛、自然の風景を描いた歌を主に紹介している點が注目された。これは日本的な情緖を內面化させ、自分の起源を忘却させるもう一つの內鮮一體の手順として理解できる。さらに、飜譯された形式が兩章時調形である點から、韓國の詩歌の傳統が和歌形式の幹涉によって解體されていく過程を讀み取ることができた。時調が和歌に近い形に變形され、傳統的リズムとレトリックに日本的情緖を1688;收めたという點は、兩國の文學の傳統が交錯していることを示している。植民地朝鮮の社會を構成した朝鮮人と日本人は、總督政治の下で均質化された一つの國民として規定され、皇民として帝國に動員されたが、『萬葉集』の收容の違いから、兩方のグル一プがそれぞれ別の方法で呼び出されていたことが分かる。完全に融和することのできない二つの國民が入り混じって共存した空間が植民地朝鮮なのである。兩國の文學の傳統が交錯して行ったところは、その紛然さの反映であり、支配文學の影響の中に包攝されていく植民地文學の肖像であるといえよう.

[자료제공 : 네이버학술정보]
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