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KCI 후보
『금석물어집(今昔物語集)』의 음양사(陰陽師) 고찰
『今昔物語集』の陰陽師考察
문명재
일본연구 26권 63-81(19pages)
UCI I410-ECN-0102-2017-830-000385685

『今昔物語集』(以下『今昔』と略稱する)が成立した平安時代後半は陰陽師が活躍した時代であり、作品の中には陰陽師たちの活躍像が多彩に描かれている。したがって當時の民衆の生活全般に密接な關わりをもっていた陰陽師の姿を確認するにおいて、『今昔』の說話は重要な手がかりを提供してくれる。 陰陽師の種類を見ると、まず官人陰陽師は陰陽寮に所屬し、官職をもった陰陽師のことで、天文を觀察して曆を作ったり、奇異なことが起こったら吉凶を占って報告したりした。次に、世の中には隱れて活動した陰陽師、隱者陰陽師があった。朝廷や官の要請ではなく、一般民衆の苦しみと惱みを解決してくれたのが隱者陰陽師の役割であったが、彼らは人を殺す呪いの呪術を唱えたり、民衆の災厄を防ぐなど、肯定的な姿と否定的な姿の兩面を合わせてもっていた。もう一つ、法師陰陽師は僧侶として陰陽師を兼ねているか、或いは僧侶の格好をした陰陽師を指す。法師陰陽師という表現は『今昔』以前の『枕草子』にも旣に出ているが、作者淸少納言は見にくきものの一例として、法師陰陽師が紙冠をかぶっている姿を上げている。陰陽師が紙冠をかぶっているわけについては『今昔』の例話を通して理解できよう。卽ち、神は僧侶の姿を嫌うからと言っているが、當時の神と佛との關係を窺わせる。 また、陰陽師は普通の人は持っていない技芸の持ち主で、彼らの占いは重要視され、優れた秘法は稱贊の對象であった。陰陽師は隱れているものを見る透視術、體を隱す遁甲術を驅使したり、式神を使ったりもした。とりわけ、重病にかかった人の命を救ってやった安倍晴明の秘法は當代陰陽道の第一人者と言われる名聲に少しも劣るところがなかったことが確認される。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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