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KCI 등재
語りとしての歌謠物語について
이권희
일본연구 27권 106-134(29pages)
UCI I410-ECN-0102-2017-830-000385867

記紀の語りとしての歌謠物語について、多樣な議論が行われてきた。記紀の物語における歌謠の意味は、しばしば文學性とか抒情性、あるいは人間的感動をもたらすものと いったようなことばで說明されてきた。しかも、最近は韻文という異なる樣式による複次 的な時間構造による複線的〈場面〉の形成に、歌謠物語の構成原理を見いだしている。 それは正しい指摘かもしれない。しかし、倭建命の歌謠物語のように作中世界が時間的 にも空間的にも大きな擴がりを見せている場合、このような方法では限界がある。問題は、そのような文學性や抒情性、あるいは人間的感動が、王權の書なる『古事記』のな かで、いかなる方法によって描かれて、具現されているかである。それへの具體的な究明 なしに、ただ樣式の差にこだわりすぎて敍述の立體性だけを强調するならば、文學性や 抒情性、あるいは人間的感動ということばは、ただ抽象的なことばに終わってしまい、 結局、何も言っていないのと同じことになってしまうだろう。 歌謠物語は「カタリ」と「ウタ」の、特に「ウタ」のもつ含蓄性や、それによって期待 される抒情の廣がりを目指して、最初から意圖され試みられた、高度の文學的な手法による産物である。特に、一つの段落の終わりの部分に歌を据えることによって、抒情の 廣がりを狙っている。歌をもって物語を締め括り、その歌によって抒情の廣がりを得るという歌謠物語の方法は、和歌の世界で育まれた抒情の世界が前提になってからこそ可 能になる、高度な文學的技法である。日本語を書くということに、まだ十分成熟されていなかった散文表現、その散文形式だけでは滿たされない古代人の「情」を、一字一音 式のウタを通して、すでに確保されていた「ウタ」の抒情性によって、見事に描き出 すことができたのである。從來、古代文學の寶庫として、または古代の物語の在り方を 示す重要なテキストとして『古事記』『日本書紀』兩者を比較して論じる場合、古事 記の方が斷然高く評價される理由を、歌謠物語という樣式の志向はよく說明している のである。天皇の世界の確立という大きなテ一マを、天皇自身の營みとして語る『日本 書紀』がある一方で、倭建命の悲運の歌謠物語として語る『古事記』がある。ここに『古 事記』完成者の文芸的趣向や、創作的意圖が强く感じられると同時に、これこそ『古事記』の目指した語りのの方法であったと言えるのではないか。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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