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KCI 등재
『다마쿠시게(玉櫛?)』의 「지쿠쇼즈카(畜生塚)」이야기 고찰 - 하야시 기탄(林義端)의 구상과 괴이성(怪異性)을 중심으로 -
『玉櫛?』の「畜生塚」考察 - 林義端の構想と怪異性を中心に -
김영호
일본연구 44권 115-134(20pages)
UCI I410-ECN-0102-2017-830-000378951

本稿は林義端の浮世草子『玉櫛?』卷三の第一話「畜生塚」を取り擧げ, 義端の構想と怪異性を中心に考察した。「畜生塚」は, 豊臣秀次が關白の職を剝奪された後, 1595年高野山で側近と共に切腹自殺させられ, その子と妻妾30余人は三條川原で處刑された所謂秀次事件を題材にしたものである。林義端は, 1691年淺井了意が死ぬと, 翌年には彼の遺稿集『狗張子』を出版して, その序文を書き, 同年10月には『剪燈餘話』を出版している。義端はそれに止まらず, 上記の作品を眞似て『玉櫛?』を刊行しており, それによって彼の作品構想における先行怪異譚の影響, 及び了意の創作技法との比較を通して, 義端の作品形象方法について考察するのが注目されている。本話について, これまでの硏究では1625年頃刊行された『聚樂物語』が出典であるとされていた。しかし, 本稿で注目したのは義端が秀次事件のみを描いたのではなく, 幽靈との出會いと契り, 別れ, 歷史について評判するという, 原話には見られない幽靈交歡譚としての話型を利用して, 話を再構成したということである。例えば, 好色の人としての左門の人物造形及び情景描寫, そして幽靈との出會いの過程は『伽婢子』の「金閣寺の幽靈に契る」の內容を全體的な骨格としたうえで, 『剪燈餘話』の「江廟泥神記」から着想を得て作り上げたものである。また, 幽靈との契りの部分は, 『伽婢子』の「牡丹燈籠」から構想を取ったものであり, 幽靈との別れは『剪燈新話』の「綠衣人傳」からヒントを得たものである。更に, 幽靈が語る秀次の逸話について, 義端は『聚樂物語』だけでなく淺井了意の『將軍記』も机上に置いて直接參照しながら執筆したことを新たに指摘できた。義端は本話の創作において, 自分にとってまだ生?しい記憶として殘っていた秀次の惡逆の逸話を素材としているが, これは江本裕氏が指摘した通り, 了意の怪異譚の形象方法と基本的には同じものである。しかし, 了意の場合, 中國の話を一次出典としながら人物ㆍ時代ㆍ場所ㆍ事件を日本のものに變え, 二次出典として日本の通俗的な歷史書を踏まえて肉付けを行っている。それに對して, 義端は日本の通俗的な歷史書と『剪燈新話』『剪燈餘話』『伽婢子』などの和漢の怪異譚に見られる幽靈交歡譚の話型を解體してそれを再構成したうえで, 日本の通俗的な歷史書を利用して作品を構成したのが特徵である。

[자료제공 : 네이버학술정보]
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