3.145.97.248
3.145.97.248
close menu
KCI 등재
오에 겐자부로(大江健三郎)「우리들의 성의 세계(われらの性の世界)」론 - 暗喩로서의 ‘성적인 것’ -
大江健三郎 「われらの性の世界」論 -暗喩としての「性的なもの」-
신지숙
일본연구 44권 189-203(15pages)
UCI I410-ECN-0102-2017-830-000379938

「われらの時代)」(59.7)を書く頃, 牧歌的な小說家から現實的な小說家へと方向轉換を意圖した大江は, 日本の現實を描く自分の武器として「性的なもの」を選擇した。これは大江が現代の日本靑年を「性的な人間」と捉えたことと密接な關わりがある。そうした大江の考え方を書き表しているのが「われらの性の世界」(『群像』59.12)というエッセイである。本稿の目的は, このエッセイの構成および, そこに說かれている「政治的な人間」と「性的な人間」の槪念を明らかにすること, さらに, このエッセイと「性的なもの」を方法として書かれた小說との相關關係を明らかにして, 大江文學におけるこのエッセイの相互コンテクスト性を究明することにある。「政治的な人間」とは, マックスㆍウェ一バ一による, 「責任ある職業的な政治家とは, 醒めた現實認識をもって, 權力鬪爭を戰い拔く人物>という定義の「勸力」を「主體」に, 「主體の自由」に置き換えると, 大江の「政治的な人間」の槪念に近づき, レトリック的にいって譬えられるものと譬えるものとの關係がカテゴリの移動に基づく暗喩に當るといえる。また, いかなる他者とも對立せず, 受け入れ, 從屬する人間を「性的な人間」と命名したのは, 直說法的な槪念でも, 近接性に基づくた換喩的な比喩でもなく, 受容と快樂という本質的な類似性に着目した暗喩的な比喩である。しかし, 小說の登場人物によって形象化された「政治的な人間」と「性的な人間」には, 暗喩的な意味と同時に直接法的な意味を與えられていることを確認した。さらに, この二重性は『われらの性の世界』のa章とb章において見られる二重性でもある。aにおいては, 現代の人間の性の世界がイメ一ジに依存して直說法的に書かれているのに對して, bの中心となる「政治的な人間」と「性的な人間」という槪念はイメ一ジではなく, 暗喩に依存する槪念なのである。つまり, 小說における表象の二重性は, 「われらの性の世界」の敍述の仕方に見られる二重性と呼應するという, 相互コンテクスト性が指摘できるのである。また, このエッセイに紹介されている三つの性の在り方, すなわち生命の光輝としての性, 悲慘ではあるが人間的な暖かみのある性, 不毛の性も, 大江の小說に描かれている性の世界と, 描かれる頻度の違いこそあれ, 呼應しているといえる。

[자료제공 : 네이버학술정보]
×