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Journal of Japanese Language Education Association


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 2005-7016
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 41권 0호 (2007)

일제강점기 일본어 교과서 속의 도태랑(桃太郞)

민병찬 , 박화리
한국일본어교육학회|일본어교육  41권 0호, 2007 pp. 3-20 ( 총 18 pages)
5,300
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本論文では、日本で國定敎科書體制が導入された1903年以降、文部省で編纂した國語敎科書と、1910年以降、朝鮮總督府から發行された國語(日本語)敎科書のうち、「桃太郞」が揭載されている7種にわたる敎科書を比較檢討し、この物語が實際どういう形で收錄されているかをはじめとして、それぞれの內容上の異同が何を意味するのかなどについて考察してみた。その結果、童話としての「桃太郞」は、一般に「英雄崇排の思想」「尙武の氣風」「海外遠征の壯擧」といった意味で受け止められており、敎科書に「桃太郞」を揭載したのは、もっぱら日本の「敎育政策」を反映しようとしたからに他ならないということを確認できた。ただし、その「敎育政策」というのは、單に言語敎育のためだけに止まらず、「國民性の陶冶」、すなわち「桃太郞精神」を朝鮮の兒童に浸透させようとする目論みに支えられたものであり、そして「桃太郞精神」は、日本の强制占領を美化し讚える道具として擴大再生産されていくのである。このように考えてはじめて、言語水準の面において不都合があったにもかかわらず初級の段階で「桃太郞」が導入されたこと、そして「天子」の登場などといった問題が理解できるのである。なお、本論文は、日本語敎科書についての言語史的な罐点にのっとったこれからの硏究の出發点の一つになるといった意義をもつ。
5,800
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今までの意思疎通機能に關する硏究はすべて敎育課程に提示された意思疎通機能の例文を個別の敎科書がどれほど忠實に反映しているかを中心に考察することに留まっていることがわかる。したがって本硏究ではまず言語習得の原理による統語的な複雜度が意思疎通機能中心敎授法(Communicative Approach)の中心となる意思疎通機能の例文の提示順序に必ず反映されなければならないという理論的な根據を提示しようとするものである。そしてこれを基に各敎科書に提示された意思疎通機能の例文の文章構造により統語的複雜度と提示順序を分析檢討し、より妥當な日本語敎授學習方法を考察する土台を築こうとするものである。外國語の敎授學習においては誰を對象に何を敎えるのかによって敎授法が變わりうる。學者によって提示する敎授法が異なる理由もここにある。だから現場で日本語敎育を擔當している敎師たちは紹介する敎授法理論が自分の敎育現場に適合し、效果的であるのか、具體的にどのような理論による敎授技法が學生たちの興味を誘い、關心を持續させることのができるのか、どのような理論による敎授法が敎師や學生の負擔を經減、もしくは加重させるのか、などを包括的に檢討すべきである。このような檢討過程を通して敎師は場合によっては新しい折衷案を作り出すことができなければならない。意思疎通機能中心の敎授法(Communicative Approach)は學習課程の內容、指導の原理原則にのっとり體系的に開發されたものである。實際にコミュニケ-ションが起こる場面において傳達行爲がなされるようにするので、各文章の文法的な正確さよりは目的とする發話が實現されることが優先される。そのため意思疎通機能中心の敎授法ではかつての文法中心の敎授法における接近の仕方より文章の種類や文法的な難易度、文章の長さ(單語數)などのような實際學習者が抱えている困難さに對する對處がおろそかにされざるをえない。學習者の立場からはむしろもっと困難に感じられ、外國語學習に興味を失う原因となりうるのである。したがって現場の敎師の見解を聞いてみると、文型中心の敎授法まではいかなくとも意思疎通機能中心の敎授法(Communicative Approach)においても、ある程度の文法敎育をしている實情であることがわかる。これは敎育現場の敎師がまだ第6次および第7次敎科書に慣れていないという理由もあるかもしれないが、場面の流れだけを重視し、文章の理解や難易度を全く無視した意思疎通機能中心の敎授法の問題点を指摘しているとも見ることができる。

일본어과 대학수학능력시험 문항 분석 -6, 7차 교육과정 비교를 중심으로-

이하자 , 신경란
한국일본어교육학회|일본어교육  41권 0호, 2007 pp. 43-67 ( 총 25 pages)
6,000
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本論文は2001學年度から2005學年度までに實施された大學修學能力試驗日本語科試驗問題を大學修學能力試驗の出題指針に基づいて內容領域と行動領域別に分析して、その結果を基に敎育課程目標にどのくらい到達したのかを調べた。これからの敎育における試驗に望ましい方向と改善案を提示することが目的である。內容領域における分類は發音及び綴字、語彙力、文法理解力、意思疎通技技能、文化理解領域で分られる。出題指針によれば順に10%、10%、10%、60%、10%出題を示しているが、分析結果を見れば發音及び綴字領域が10.6%、語彙力領域が10.6%、文法理解力問題が16.7%、意思疎通機能領域が52%、文化理解領域が10%出題されていた。意思疎通技能を重視する今の第2外國語敎育の特徵を考慮して、この領域の出題を10%減少したが、出題指針に示された割合より6.7%多く出題された。第6、7次敎育課程で言語の正確性より流暢性を强調して意思疎通を基本精神にしているが、文法理解力の問題が多く出題されている。また意思疎通技能の問題の場合、2004年までの分析を見れば主にコミュニケ-ション活動と情報活動項目にかたよっていて、2005年の場合は要求機能項目にかたよっていた。意思疎通機能においては一つの項目に偏ったではなく、意思疎通技能の例文の選定と構成が要求される。文化理解の場合、第7次敎育課程で円滑な意思疎通のために文化に對する學習が必須なのを强調していて、大學修學能力試驗では每年3問ずつ出題されたという傾向をみると主に衣食住の生活など日常に關するものである。行動領域における分類は言語理解領域の聞くと讀む技能、言語表現領域の話す、書く技能すなわち言語の4技能を中心に分析した。大學修學能力試驗では讀む技能を除き、直接的な評價が成り立たないため間接評價を實施していて、出題指針では技能別出題比率及び問項の數は「聞く」及び「話す」のが40%、「讀む」50%、「書く」10%と明示されている。實際に分析した結果の出題の比率を見れば「聞く」及び「話す」技能項目は年度にみると44%, 47%, 40%, 50%, 60%出題され、讀む技能の項目は40%, 33%, 40%, 40%, 23%出題された。書く領域は年度別に17%, 20%, 20%, 10%, 7%であった。外國語敎授-學習では言語の4技能がすべて等しく評價されなければならない。しかし、ただ1度の筆記試驗で表現の技能である話す、書く技能を評價するということは不可能である。理解技能である聞くと讀む技能は直接評價で成り立たなければならないにもかかわらず、現在まで話す、聞く、書くの評價が間接評價で成り立っている。4技能の中で2004年までは讀むの出題の比率が高く表れた。2005年には第7次敎育課程評價方法では話す、聞くことを中心に統合評價に比重を置いているので讀むことの比重が低くなり、話すことの比重が高くなった。聞く技能の評價は第7次敎育課程の目標でも明示されたように讀むことより聞くことと話すことの技能が重視されている傾向で、すべての初期學習者たちが聞くことと話すことを中心に學習すれば、大學修學能力試驗でも聞く試驗の直接評價を行うことで、試驗のレベルが高くなることが予想される。話すこと技能はその能力を正確に評價するということは非常に難しい事ではあるが、聞くことと同じように間接評價をするしかない狀況なら筆記試驗でも對話場面の多樣性を通じて言語の流暢性を進めるようにその領域を廣げて行くのが最善の課題だ。この分析結果を參考にして學校現場で日本語敎師らが大學修學能力試驗に備えるための效果的な敎育と今後の大學修學能力試驗出題にすこしでも役に立つのを期待する。

제2언어 습득의 인지적인 과정과 학습 전략

윤강구
한국일본어교육학회|일본어교육  41권 0호, 2007 pp. 69-98 ( 총 30 pages)
6,500
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本稿はインプットがインテ-クされて、メンタルレキシコン(metal lexicon)に貯藏されるまでの一連の過程を考察し、これらを利用する新しい敎授法を紹介することが目的である。インプットがインテ-クになるまではいくつかの段階で認知的な處理が行われる。そのうち、注意(attention)はインプットの形態に注意して罐察することである。あらゆる學習は、これから始まると言える。次に起るのは氣付き(noticing)である。インプットに注意したら、次は構造を把握してそれを理解するための活動である。それから、スキ-マを利用してじっくり考えることが必要であるが、それが意識昻揚(consciousness-raising)である。すなわち、形態や構造の持っている意味を理解するためにじっくり考えたすえ、そうだなと悟るようになる。これによりインテ-クされる。言語習得においてインテイは、メンタルレキシコンに貯藏され、必要な時に利用される。貯藏はグル-ピング(grouping)による。これに關與するものは、カテゴリ-化(categorization)とプロトタイプ(prototype theory)がある。情報は各フォルダ別に貯藏される。貯藏はカテゴリ-化による。これは自分の言語槪念や經驗などによりグル-ピングされる。カテゴリ-化に主な作用をするものは槪念や經驗より根本的なコ-ア(core)があるが、これをプロトタイプという。つまり、カテゴリ-化はプロトタイプに基づき構築される。また、フォルダ內の情報はばらばらではなく、上位槪念から下位槪念に、縱から橫に構造化されている。これをスキ-マと言う。第二言語習得には樣タな議論がある。①十分な理解可能なインプットがあれば、言語習得は成し遂げるというインプット가說、②インプットの重要性を認めながらも、發話を處理する過程により、言語習得が成し遂げるというアウトプット가說、③言語習得は意味交涉の過程により自然に成し遂げるというインタラクション가說、④言葉は情報交換や問題解決の過程で習得される。タスク(task)が主なシラバスとなり、それを遂行する過程により言語を習得するというTBLT、⑤言語習得はインプットだけでは足りないので、ある程度の文法敎育も必要である。正確な言語能力を養うためには意味を中心としながらも、形態にもフォ-カスを合わせるFonFがある。ここで取り扱った敎授法は2章と3章が理論的な背景となっている。

沖永良部島における共通語敎育

평야량자
한국일본어교육학회|일본어교육  41권 0호, 2007 pp. 99-110 ( 총 12 pages)
4,700
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오키노에라부시마카타 방언은, 일본 각지에 존재하는 방언의 하나이다. 그러나, 이 오키노에라부시마카타말은, 1900년 이후부터의 방언 금지나 1960년대를 중심으로 행해진 공통어 교육 등이 영향으로, 도민들이 방언을 사용하지 않게 되어 현재, 방언 계승의 위기에 노출되어 있다. 본론 문에서는, 오키노에라부 섬에서 행해진 공통어 교육에 대한 문헌 자료와 필자가 간 공통어 교육과 방언 교육에 관한 앙케이트 조사 (피조사자는, 40대에서 70대의 섬으로부터 의 이주자 33명 몇 거주자 36명)의 결과를 보고 한다. 문헌 자료로부터, 오키노에라부 섬에서는, 피조사자의 대부분이 초등학교 시절에 교사로부터 공통어 교육을 받고 있어 다른 아마미 제도와 비교해서 학교 이외의 지역의 어른들도 공통어 교육에 적극적이였던 것을 알 수 있다. 앙케이트 조사로부터, 피조사자들이, 섬의 어린이들이 공통어 교육을 받는 것과 방언 교육을 받는 것의 양자를 강하게 바라고 있다는 것도 알 수 있다. 또 이주자와 거주자로, 섬의 방언 교육의 필요성의 회답 결과에 차이를 볼 수 있었다. 거주자보다 이주자 쪽이 섬의 방언 교육에 부 정파의 회답이 많았던 것이다. 그 이유는, 이주자가 섬 밖에서 나와 공통어를 사용하지 못하고 고생한 경험이 영향을 주고 있다고 생각된다. 현재, 섬에는 방언을 사용하는 세대, 방언을 별로 사용 하지 않지만 (듣)묻고 아는 세대, 방언을 전혀 사용하지 않는 세대의 도민으로 나누어지고 있고, 도민 사이에서도 공통어 교육이나 방언 교육에 대해 생각에 차이가 생기고 있다.
5,800
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本作品で芥川は、明治初期の文明の價値、つまり開化の理想を、日本人固有の美的感受性が日本に流入された西歐の文物に動き東西の文明を融合させ創出した明治初期特有の調和の美として提示している。主人公の三浦はそのような明治初期の文明を體現する人物であり、彼の理想である「愛(アム-ル)」は、彼の美的感受性が西歐の罐念<アム-ル>に動き新しく創出した精神的美として、少しも現實的條件を省みることのない純粹で眞正なる<無償の愛>を意味する。そのように明治初期特有の美を象徵する三浦の理想は、しかし現實的欲望が蔓延る醜惡な開化の現實によって蹂躪され、結局、以後の日本の社會から消えて行く運命を천る。が、芥川は、明治初期文明の價値が以後の日本の文明から完全に絶やされたと見做し、それを嘆き悲しもうとするのではない。三浦の理想が持つ純粹で眞正なる美は、彼の親友である本田子爵によって、結局は無謀な戰いとして終わろうとも醜惡を生む現實的欲望の力に抗って守らねばならない崇高な價値として受け繼がれ、また、そのような本田子爵の意志は作中の大正期の作家である<私>によって全面的な共感とともに受容され引き繼がれていくのである。芥川は、このような作中作家<私>の姿を借り、自分もやはり、日本固有の美的感受性で西歐の文物に變容を加えることによる新しい美の創出を理想とする芸術家であることを表明している。同時に、この理想によって創出される純粹で眞正なる美を守護し傳播するべく、これを蹂躪する現實的欲望の力に抗っていく無謀で險しい戰いを持續しようとする意志を披瀝している。
5,700
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武士道などといえば、いまの日本人には右翼とか封建時代の遺物と否定される傾向があるが、日本人が自國の思想や自國に固有のことを說明するときには必ず出てくる言葉であり、日本文化のキ-ワ-ドの一つでもある。外國人は本當の日本の精神とは何かと思いを致す時、自然と武士道のことを思い浮べるものである。今も武士道に關する本は絶えずに出版されている。武士と武士道は忘れられた言葉ではなくて日本人や外國人に依然と關心が持たれている。特に日本人を硏究する時には欠かすことのできぬ對象の一つであろう。本論文は鎌倉時代の武士道の硏究を通じて鎌倉時代の武士の習慣と思想などを理解し、それがひいては日本を理解する一つのきっかけになればと思って書かれたものである。今日の歷史用語としての「武士」という言葉は平安末期に現れ、武を職能とする者であることの外に、あるいは橫に連合し、あるいは縱に主從官係を結ぶ領主階級である。そして武士道は日本の長い封建社會のなかで、特權階級の武士が守るべき道德律として誕生した。鎌倉時代には武士が歷史の主役としての地位を固めて將軍と主從關係を結んだ。まず、武士は自分の名と恥を何よりも重視したが、名と恥の思想のほかに武士の生き方として重視されるものに、恩の思想がある。自己の主人(將軍)から家臣(御家人)に與えられる保護、それは生命.財産.名譽など武士としての全存在にかかわるものであるが、主要な御恩は所領と稱する土地財産に關與する保護であった。鎌倉時代には、この御恩は狀軍から御家人の戰場での功績や宮仕の忠勞などの奉公により與えられたが、いわゆる「所領安堵」をしてくれる主君に對して、これを有難く重い、その者に奉仕すべしとする雙務的な行爲の規範である。この「御恩と奉公」を基盤に鎌倉幕府が成り立っていたのである。この主後の結合は「御恩と奉公」の關係となり、主從兩者が共に反對給付を義務づけられた關係にあるため、從者の側からすれば奉公の反對給付である經濟的物質的報酬(御恩)を獲得する手段として奉公が行われ、主君はこの御恩によって從者の奉公を買取るのが當然であると現實的な視点から理解されている。したがって、主君の情の恩は「經濟的な恩を補强する役割をもつに過ぎない」と結論づけられたのである。また、このほかにもうひとつ重要な關係があった。それは「御恩と奉公」の利害打算を越えた堅い人間的な情誼的結合が形成された、先祖以來の譜代關係に基いている。その關係は主君に對する「無我の獻身(情誼)」が核心となっているのである。
5,700
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本稿では、日帝强占期の敎育においての例話の誤謬を修身書を通して考察する。日帝强占期の誤謬と歪曲に關しては先行硏究もいくつかあるが本硏究では修身書に登場する幾つかの例をあげながら具體的かつ實證的な接近をしようと思う。まずソクラテスに對する總論的な市中認識の誤謬を指摘し、その認識の誤謬が植民地社會を通じて現代の敎育に定着するまで、我が國の敎育にどんな影響を及ぼしたのかを分析することにした。その結果、現在に至るまでのソクラテスに關する誤った市中認識は日帝强占期の尾高朝雄という法學者によることがわかった。また修身書に登場するソクラテスに關する例話も原據を檢討せずに記述したため誤ったものであり、崔碩の例話も原據である高麗史を十分に檢討しないまま記述した故のミスがあることがわかった。ところでここでもっとも重要なのはこういう修身書を學ぶ側がまだ價値觀が確立していない'兒童'であったことである。誤った認識の裏面には歐米や日本の文化を受け入れる時において、無批判的で、盲目的に吸收している態度と、そして當時の日本による、日本語を通じた重譯中心の硏究風土も指摘することができる。結論として當時、敎科書の執筆者達の原據を忠實に檢討しなかったいい加減な態度と、日帝强占期という時代的な特殊狀況からこのような誤謬が生じたのではないかと考えられる。

近代日韓における女子茶道敎育 -その背景と關連性-

천본리회
한국일본어교육학회|일본어교육  41권 0호, 2007 pp. 179-196 ( 총 18 pages)
5,300
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1930년대부터 시작된 조선의 여자고교·여자전문학교에서의 일본다도교육의 실시에 대해 한국다도계에서는 식민지교육의 일환이란 단순한 견해가 대부분이며, 그 배경과 구체적 의미에 관한 상세 연구는 부족한 것이 현실이다. 한편 일본에 있어서의 한국 다도에 관한 연구는 일제 식민지 시대에 발간된 한국 차문화의 역사와 차분포지 등을 기록한 몇 권의 책을 제외하고는 1945년 이후 전무한 상태에 있다. 이 논문에서는 일련의 식민지정책 과정중에 실시되어진 조선에 있어서의 여자 다도 교육과 메이지후반부터 일본의 각 여학교에 전파된 다도 교육에 대해 각각의 배경과 관련성을 고찰함으로서 일한의 근대 여자 다도교육의 구체적 의미를 생각해 보고자 한다. 일본최초의 근대여자 다도교육은、1875년 토쿄칸다쿠에서 신설한 아토미학교의 수업과목중에 점차를 가르킨것이 시초가 되었다. 또한 카조쿠여학교에서도 가사과중에 다도를 포함시켰으며、그후 다른 여학교에서도 다도교육이 구체화되기 시작하였다. 아토미학교 이외에、오쿠다쇼조도 일본의 여학교에 다도 교육을 도입 시킨 선구자이다. 오쿠다는 문부성사상국의 의뢰를 받아 일중전쟁이 일어난 1937년『로변한상』을 집필하였는데 거기에 표현된 그의 차에 대한 사상은 도덕적이며 정신적 세계를 중시하는「와비차」의 사상이라고 할 수 있다. 세속의 모든 욕구를 버린 와비다인이 매우 높은 평가를 받은 시대는 전란시대라고 일컬어 지고 있으며、전쟁의 시대라고도 말할 수 있는 쇼와시대에는 여자 다도교육에 있어서도 시국에 부응하는 다도의 사상이 강조되었다. 즉 간소한 생활과 정숙을 통해 정신적인 깊은 수양을 얻는 종교적 다도가 요구 되었다고 볼수있다. 1940년 수정 발표 된 『고등소학독본』 여자용 교과서에서는 전시적교육의 일환이라고도 할 수 있는 내용이 보인다. 거기에는 부자·부부간의 애정과 집착을 버리고 비상시의 마음가짐을 가지는 것이 중요하다는 내용을 담고있다. 그것은 개인이 아닌 일본의 여성이란 국가의식을 강조한 덕목이었다. 한편 이러한 현상은 한국에 있어서도 동일한 양상으로 행하여졌다. 1938년에 공포된 조선교육령을 기점으로 당시의 각 여학교에서는 일본식 다도교육이 본격적으로 실시되었다. 특히 전쟁이 격화된 1941년에는 『중등가사교과서』에도 다도가 실리게 되었다. 이러한 배경은 청일·러일 전쟁 이후 일본에서 다도를 배우는 전쟁 미망인이 증가함과 함께, 여학교의 다도교육도 상류사회의 예절교육의 범주를 벗어나 전시에 있어서의 정신 수양교육의 일환으로 다도가 채택되어진 것과 동일한 관련성을 갖고 있다. 즉 근대 한국에서 실시된 일본식 다도교육은 단순한 식민지 문화정책 이라기 보다 일본 본토와 동등한 차원의 배경과 목적을 가진 전시태세의 여자교육이었다고 볼 수 있다. 물론 그것이 한국고유의 다도가 반영되어지지 않은 일방적인 일본식 다도교육이었다는 것은 말할 것도 없다. 이 논문에서는 근대 한일 여자 다도교육의 배경과 관련성을 고찰함으로써 식민지 교육의 일환으로써의 다도교육이었다는 종래의 막연한 견해를 벗어나 전쟁과 함께 변모한 일본 다도의 역사를 검토해 보았다. 결국 한일양국에 있어서의 여자 다도교육은 전시에 필요한 「황국여성」을 키우는 심신수양 수단으로써 교육에 도입됐다고 볼 수 있으며, 다도의 도덕적·정신적 측면은 비상시에 동요하지 않고 후방에서 국가와 가정을 지키는 여자교육에 적절하게 부합하는 요소를 가지고 있었다. 다시 말하면 다도의 간소(Simplicity)·정숙(Calmness)·탈욕(Unconditioned Freedom)과 같은 종교적 요소가 전쟁국가에 있어서의 여자교육에 용이하게 부각되어 정책적으로 쓰여졌다고 결론 지을 수 있다.
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