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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 103권 2호 (2017)
5,400
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本稿では映畵 『嫌われ松子の一生』 に現れた女主人公のイメ一ジないし性格の描き方を、女性原型の表象という見方から眺め、そこに說かれたジェンダ─の樣相について探ってみた。女主人公の松子は父親の愛情の欠乏から立ち直ることができず、出逢った男性たちに犧牲と愛を注ぐものの、それに報われなかったため、外部と斷絶し、自己破壞へいたる。要するに映畵は非均質的な愛情關係のなかで傷つけられっぱなしの、無氣力な女性を描いている。 洋の東西を問わず、神話や傳說など、宇宙の始原を語る物語において共通する女性原型が見られる。この女性原型は生命の源、もしくは豊?のような救援のイメ一ジと、カオス、自然災害といった破壞のイメ一ジを倂せ持っている。日本の場合、女性原型の表象は「山?」であると言える。そして映畵 『嫌われ松子の一生』 における女主人公 「松子」 は日本的な女性原型の兩義性を有する 「山?」 の傳統を受け繼がれた人物造形であると思われる。 松子は出逢った男性たちに果てしない純情を注ぎ、彼らの挫折と欠乏を慰撫する、いわゆる救援の存在である。が、その一方、彼女は社會の秩序を拒み、道德イデオロギ一に逆らいつつ、そこからはみ出された部外者としての破壞性を露にしている。このような松子の姿から日本傳統の女性原型の表象である山?のイメ一ジをうかがい知ることができると思われる。

香山連荊氏の出自と任務について -渡來系氏族のル一ツ-

마노토모에 ( Mano Tomoe )
6,300
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이 논문은 724년에 사성(賜姓)으로 가구야마노무라지를 받은 형(荊)씨에 주목해서 그 출신과 임무를 살펴보는 것이 목적이다. 지금까지 형(荊)씨는 고대 소수 씨족이라 역사상에서도 별로 나타나지 않았다. 그렇지만 쇼무조의 도다이지 건립에 관련한 일편의 도래인 활약을 무시할 수는 없다. 쇼무조는 “나가야노오키미의 변”이나 전염병으로 인한 후지와라 4형제의 사망, 자연재해 및 식량기근, 공지공민제의 붕괴 등으로 사회 불안이 깊어지는 상황이었다. 그렇기 때문에 쇼무천황은 진호 불교에 기대서 국가 안태를 원한 것이다. 724년에 쇼무천황이 도래인에게 사성(賜姓)했는데 그 때 형궤무라는 인물이 가구야마노무라지를 받았다. 815년, 사가천황 칙찬(勅撰)으로 편찬된 “신찬성씨록”에는 백제인 달솔인 형원상이라는 인물이 기록되어 있어서, 형궤무는 그 후손으로 추측된다. 조사해보니 가구야마노무라지 형씨는 도다이지 사경소에서 경사(經師)의 임무를 맡고 있었다. 그러나 그 후손인 기요사다와 기요무네가 835년 가구야마노야쓰네를 다시 받게 되었기 때문에 가구야마노무라지는 소멸했다. 그 이후 일본 역사기록에서는 형씨를 확인할 수 없게 되었다. 그래서 눈을 한국으로 돌려서 한국 문헌으로 형씨의 출신 고사를 시도해 보고, 형씨의 뿌리를 더듬어 그 역사를 살펴보려고 한다.

한일 창세신화 비교 고찰 -한국의 <창세가>와 일본의 『고사기(古事記)』를 중심으로-

최광준 ( Choi Kwang-joon ) , 권선영 ( Kuean Sun-young )
6,200
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韓國の巫歌である<キムサンドリ本>と<チョンミョンス本>、日本の『古事記』の兩方で發見されている神話素は天地開闢、火の根本、日月調整神話素である。天地開闢からこの世の起源を說明することができるため、天地開闢神話素は創世神話において重要な意味を持つ。そして、天地開闢があるとき神格も誕生するということを知ることができる。その神格は複數である。韓國の場合は、彌勒、釋迦と呼ばれる二つの神格があるが、『古事記』の場合はイザナギ·イザナミ代まできて再び神?が創造される。水の根本とは違って、火の根本神話素は兩國でいずれも發見される。日月調整神話素は韓日兩國の關連性が最もよく見られる部分である。創世神の巨身的性格を說明する部分と人世獲得競爭の'賭け'という部分に適用することができる。<キムサンドルリ本>で見える人間創造神話素は生命の進化論を連想させる。蟲から人間に成長するというのは時間の流れを示すものと見られる。そして金の盆と銀の盆に落ちた蟲が、それぞれ男と女に成長するのは人間と日月の密接な關係を表している。<チョンミョンス本>や 『古事記』 には見られない具體的な人間創造神話素はこのように日月星辰との關連性をもつ類似性が類推できる。 兩國の創世神話を比較するにおいて、世界創世神畵素を分析することをはじめとしてその類似性と特異性を區分してみたが、これは韓國と日本の創世神話比較硏究のごく一部分に過ぎない。巫歌の形で傳承されてきた韓國の場合とは異なり、明らかな編纂目的を持っている日本の場合はむしろ歪曲の可能性があるために幅廣い資料分析が要求される。
5,600
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たかぎのかみ (高木神) の 『古事記』 における別の神名は、たかみむすひのかみ (高御産巢日神) という名前で、神代のニニギの天孫降臨に至るまで、高木神として14回登場されている。また 『日本書紀』 においても高木神の別名である高皇産靈尊として29回も取り上げられている神である。しかし、『日本書紀』 には高木神という木の神としての傳承は描かれていない。それに比べ 『古事記』 における高御産巢日神は、高天原の平定傳承から高木神(高い木の神)という別名の木の神として登場し、地上世界との連携性が描かれている。天神が天上世界から地上世界、地上世界から地下世界へ移動し疎通するためには安全な通路が必要になる。この時、地上へ降臨する天神のための神座や、移動通路になる巨木を神木であると想定すれば、高木神のモチ一フは、その神が本來持っていた天神のイメ一ジの上に、木の神のイメ一ジをオ一バ一ラップさせ、天上世界から地上世界、そして地下世界への繼續的な連携や子孫たちとの疎通を願った天神の他のイメ一ジではないかと思う。

合卷 『彌次北八橫濱久里毛』·『橫濱栗毛/二編』の書誌學的硏究

강지현 ( Kang Ji-hyun )
한국일어일문학회|일어일문학연구  103권 2호, 2017 pp. 123-141 ( 총 19 pages)
5,900
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2세가쿠테글<히자쿠리게물>고칸으로서 1860년10월에 검인된 ⓚ 『야지기타하치요코하마쿠리게』, 1861년4월에 검인된 ⓛ 『요코하마쿠리게/2편』을 텍스트로, 서지학적 의문점-전편·후편·속편 관계에 있으면서 주제(柱題) 및 외제(外題)가 일관성이 없는 문제-를 분석했다. 먼저 ⓚ의 서지는 주제「다비닛키(旅日記)」(ⓚ-1)·「야지하(彌次下)」(ⓚ-2), 상하 두권 합철 전30장, 가쿠테 하루노부글·잇케사이 요시이쿠그림, 1860년10월 검인, 시나가와야 큐스케출판, 중본(17.8×11.8)이라고 요약할 수 있다. 이들의 개제 재판 개각본(改題再板改刻本)『요코하마히자쿠리게』(ⓚ-3)도 현존한다. 즉 전30장짜리 1860년판의 ⓚ를 명치 이후 키야 고모리소지로가 전20장짜리로 출판할 때, 겉표지(摺付表紙) 및 서두 한쪽분량과 장서목록(奧目錄)만 개판하고, 본문에 해당되는 판목은 그대로 전용한 것이 ⓚ-3이다. 다음 ⓛ의 서지는 주제「게2(毛二)」, 상하 두권 합철 전30장, 가쿠테 하루노부글·잇케사이 요시이쿠그림, 1861년4월 검인, 시나가와야 큐스케판, 중본이라고 요약할 수 있다. 이상의 ⓚⓛ가 출판되던 시기는 <히자쿠리게물>이 유행하고 있어서 적극적으로 기획·참여하려고 했던 출판업자 시나가와야의 열의가, 고칸풍 니시키에『쿠리게노야지우마』서문으로부터도 이미 엿볼 수 있는 바이나, 이와 같이 동종본의 주제 및 외제의 통일에 주의하지 않았던 점으로부터 보아, 시나가와야가 유행에 뒤처지지 않기 위하여 서두른 나머지, 안이한 책자 제작 시스템·자세를 취하고 있었음을 알 수 있다. 그러나 일련의 가쿠테글<히자쿠리게물>고칸 시리즈 탄생의 시초가 된 작품이 본 ⓚⓛ이며, ⓚⓛ은 원작『도카이도츄 히자쿠리게』와 마찬가지로, 이른바 「근거리」<히자쿠리게물>이라고 하는 오랜 문학사적 전통 안에서 성립된 작품이었던 것이다.
6,000
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山田詠美(1959∼)はデビュ一作である 『ベッドタイムアイズ』 (1985)をはじめ、多くの 「戀愛小說」 を描いてきたが、その一方、10代の少年少女を主人公とする 「靑春小說」 の作家としても知られている。本硏究で考察した 『風葬の敎室』 (1988)も靑春小說の一つであり、この作品には 「本宮杏」 という小學校五年生の少女が、敎室という空間で行われる集團的な暴力に苦しみ、惱む姿が描かれている。ここで筆者は、主人公の杏が經驗する一連の過程を中心に、作者山田詠美が求める女性像や性に對する認識について考察した。 作品を考察した結果、『風葬の敎室』 には 「フェティシズム」 や 「月經」、それから 「愛」 を通して、女性やその性に對する作者山田の捉え方が表れていることが分かった。まず、作者はフェティシズムを通して、過去における男性中心ではなく、女性主導の男女關係を描いていた。それから、月經をはじめ、女性の持つ特有のものを肯定的に理解していることが分る。最後に、男女關係を單なる欲望ではなく、相手に對する理解や責任を基にしたものとして求めていることが垣間見られる。 『風葬の敎室』 は今まで、日本社會における集團主義に對する批判、あるいは、主人公の內的成長を中心に言及されてきた。本硏究では 今までの先行硏究とは違って、山田詠美の女性と性に對する認識について考察し、それを明らかにしたことで、その意義があると思われる。
5,600
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江戶時代の代表的な俳人松尾芭蕉の終焉を素材としている『枯野抄』は、芥川龍之介の作品の中では比較的初期に當るが、死を見つめる視線の重さは決して輕くない。『枯野抄』は夏目漱石の死をモチ一フとしており、死という素材は、彼の初期の代表作である『羅生門』から後期の作品に至るまで、さまざまな形で扱われている。又、芥川は複數の作品を通して松尾芭蕉という人物と彼の人生への深い共感と尊敬を示している。テキストで描かれている芭蕉が示す生と死の風景は芭蕉のものでありながら、同時に芥川の視線でもあるのである。 旣存の先行硏究が弟子たちのエゴイズムを通して芭蕉の孤獨を論ずることに重点を置いているのに對して、本稿では、偉人としての芭蕉ではなく人間芭蕉の姿に焦点を當てている。先ず、作家が『枯野抄』を構想する時に參考にしている『花屋日記』との比較を通して、芭蕉と弟子たちを眺める兩作品の視線の違いを調べ、芭蕉が持つ身體性に注目している。續いて、テキストに引用された芭蕉の俳句と彼の臨終をめぐる周邊の風景を通して、生と死の境界を眺める視線と、自然の一部としての死の意味について探っている。

夏目漱石の文學から見た恐れと罪 - 罪人の死という運命 -

야노다카요시 ( Yano Takayoshi )
한국일어일문학회|일어일문학연구  103권 2호, 2017 pp. 179-197 ( 총 19 pages)
5,900
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소세키 문학은 『소레카라』 부터 『고코로』 까지 공포가 일관해서 나타난다. 본고는 이 공포의 의미를 밝히기 위해 『소레카라』, 『문』, 『히간스기마데』, 『행인』, 그리고 『고코로』에 나타난 공포를 분석한 것이다. 많은 정신의학자는 소세키가 신경증이나 우울증에 걸려 있었다고 한다. 그러므로 이와 같은 공포는 그의 정신장애에서 나타난 것으로 볼 수도 있다. 그러나 이들 공포는 모두 양심의 가책에서 나오는 것이며 주인공의 운명과 관련된 것으로 묘사되어 있다. 그리고 이와 같은 공포는 “고코로”에서 주인공의 죽음과 동시에 사라진다. 마치 죄인은 죽어야 될 운명에 있었던 것처럼 주인공은 양심의 가책에 괴로워하고 자신을 책망한 끝에 죽음을 선택한다. 그러므로 이들 공포는 소세키의 병으로 인한 증상의 나타남이 아니라, 소세키가 죄에 대한 대가가 죽음이라는 운명인 것을 공포를 통해 표현한 것으로 볼 수 있다.
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柳田國男の『遠野物語』は、もはや日本では古典として讀まれている。今日この說話集が古典として評價される主な理由は、かつて近代化の過程において、日本人の間に忘れられてしまった、あるいは失われてしまった(と思われる) 「もの」 や 「こと」 がそこには殘っていると信じられたからであろう。言い換えれば、『遠野物語』がまるで日本人の 「こころの故鄕」 のように思われたからである。 そして『遠野物語』に傳承されている 「こころの故鄕」 は、樣?な大衆文化コンテンツに受容され、その過程において原作からだいぶはなれ、新たに變奏されるようになった。 本稿では、『遠野物語』が日本の大衆文化コンテンツに受け繼がれ、擴散されていく過程において、どのようなスト一リ一テリングが試みられたのか、その主な特徵を明らかにしようと試みたものである。特に漫畵コンテンツを中心にして考察した。 まず大衆小說、映畵、繪本に受容された『遠野物語』について檢討した。その結果、原作の中からいわゆる 「怪談」 と分類される、いくつかの話が頻繁に取り上げられたことを確認した。このような特徵は、漫畵コンテンツからも確認することができる。 本稿では、『遠野物語』を原作として作られた漫畵コンテンツを對象として、①妖怪漫畵への影響、②原作に基づいた忠實なる再現、③原作のスト一リ一テリングというふうに、三つの類型に分けて分析した。類型分類による分析によって、他の大衆文化コンテンツによく見られるように、漫畵コンテンツでも『遠野物語』の「怪談」としての特性が受け繼がれていたことがわかった。 しかしながら『遠野物語』には、「怪談」だけが述べられているわけではない。なぜ日本の大衆文化コンテンツでは、『遠野物語』の 「怪談」 としての側面だけが取り上げられているのか、これから追求していくべき課題の一つであろう。
6,000
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本稿で取り上げる「安重根(アン·ジュングン)」は、大韓帝國時代の朝鮮の獨立運動家である。立場が違えば「歷史認識が違って當然」で、正反對の評價が下されるということはしばしばある。日本では安重根への評價は、樣?で、時代によって變遷して、人によって大きく異なる。特に韓日の安重根の評價の違いは、韓日兩國の永續的な確執の象徵になった。 本稿の「安重根義士に對する日本人の認識-1909年から1910年まで朝日新聞を中心に-』は次のような意味を持っている。 第一、1909年から1910年まで、日帝强占期のうち韓國人に對する彈壓がひどかった時期に、安重根義士に對する日本人の認識がどのような方向に流れているかを把握できる契機になることである。 第二、實證的、具體的資料を通じて日帝强占期のうちの安重根義士に對する日本人の認識を把握できている。 第三、1909年から1910年まで、安重根義擧に關する情報など、最も基礎的な情報が日本內の日本人たちにどのように渡されたかも把握することができる。 第四、日本政府の政策、目的の內容の變遷を把握するのに必要な硏究である。これは當時、日本帝國主義の實態や日本人意識に關する客觀的資料を提示することができるものであり、このような資料は日本の政策と世論などの派生の硏究に役立つことができる。 第五、政治的理由に韓日關係は惡化の一途に立っている。しかし、韓國人、日本人がお互いを理解できる共感を持つようになったら、東アジアの平和が欲しかった安重根義士の意味を引き繼いでいく土台を築くことができる。
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