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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 106권 2호 (2018)
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本稿は『源氏物語』における「唐」と「高麗」の用例、中でも「唐」と「高麗」が一緖に書かれている場面に注目し、平安時代前半期の東アジア文化に對する認識の一端を考察したものである。 『源氏物語』及び平安時代の「唐」と「高麗」をめぐっての最近の硏究は「高麗」を獨自の價値のある文化地域として認めず廣義の「唐」として看做す傾向がある。しかし、「唐」と「高麗」が一緖に書かれている『源氏物語』における場面に注目したとき、「唐」と「高麗」は對比する文化地域として形象化されており、そこからの舶來品もまた獨自の文化的な價値を持つものとして認識されている。なお、「高麗」は『源氏物語』において一般的に「渤海」として理解されているが、平安時代以前の用例の分析や平安時代前半期の古代日本の對外交流などから「高句麗、渤海」さらに「高麗」まで含む韓半島に基盤を置く國を指すものとして考えることもできる。もう一つ注目すべきは、平安時代以前最高の價値あるものとして認識されてきた「高麗」の品物または文化に對するイメ一ジが『源氏物語』においては變化を見せているということである。このような『源氏物語』における東アジア文化に對する認識の轉換は、渤海の滅亡後高麗との交流も盡ならなかった狀況の中で日本の對外交涉が專ら中國に依存するようになり、「唐」の舶來品が主流を成したことも一つの要因として考えられよう。

『해도기(海道記)』의 미야코(都)

이영경 ( Lee Young Kyung )
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『海道記』の敍述は、當代の貴族の傳統的な表現世界の樺組みを維持しつつも、そこから離れた多樣な樣相が含まれている。これは、古代の傳統への歸屬と乖離とも言える。 例えば、都に關わる表現が非常に多く登場するが、傳來の表現とは異なる役割の機能が新たに付加される。 一つに、傳統的な觀点の敍述方式で見るときに、都は無意識的であり、觀念的な懷かしさの主體である。これは同時代の傳統的な和文脈の樺組みの中に潛在することを意味する。しかしながら『海道記』は、老母という、懷かしさの直接的な背景である原因が、都を通じて全面的に登場する。そして、敍述者の感情の機微を傳達する新たな役割の機能が都に付加される。都は、敍述者の精神的な無意識の主體ではなく、敍述者自信の內面の感情を表すために借用された付加的な表象である。 二つに、敍述者は都に歸國する際に、歸京の喜びより鎌倉から離れる惜しさをそのまま表出する。まさに、ここで『海道記』の表現の特徵が起因する。當時、貴族社會において、都は、愛着の空間であり、王朝の象徵であり、傳統と秩序の表象だった。ところが、『海道記』の都の表現は、傳統的な表現世界の秩序と規範から脫皮する。それは、當代の敎養人の傳統的な表現の秩序と類似しながらも、同時に、他の理解の可能性への擴張であり、到來する中世という時代的な要求と意識の變化を反映することを意味する。 このように、『海道記』に敍述された都の表現の役割と機能は、社會文化史的に、時代の變化を先取りした象徵のキ一ワ一ドともいえよう。都の持つ多層的な含蓄性に對する深層分析を通じて、さらに『海道記』に對する理解の地平を廣げることができると思われる。

유메마쿠라 바쿠의 『음양사』의 방법과 소재로서의 고전

이시준 ( Lee Si-jun ) , 장경남 ( Jang Kyong-nam ) , 황민호 ( Hawang Min-ho )
6,200
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근대문학 작가 중, 아쿠타가와 류노스케(芥川龍之介)나 다자이 오사무(太宰治)는 소설 창작에 있어 고전을 소재로 활용한 작가로도 유명한데, 현대 작가 중에서는 고교쿠 나쓰히코(京極夏彦)와 유메마쿠라 바쿠(夢枕獏)가 고전을 잘 활용하는 작가로서 주목된다. 본고는 일본에서 음양사관련물의 붐을 일으킨 장본인 유메마쿠라 바쿠(夢枕獏)의 『음양사』시리즈 1권의 고전 활용방법에 대해서 고찰하였다. 작은 에피소드로 활용된 고전소재를 차지하고, 스토리 레벨에서 영향을 미친 경우를 살펴보면 전 6편의 단편 중, 3편이 특정한 한 고전작품의 영향이 강했고, 2개의 단편은 복수의 고전이나 역사적 사실에 기반해서 스토리가 짜여 졌음을 확인할 수 있었다. 고전 활용의 측면뿐만이 아니라 유메마쿠라의 소설이 만화, 영화, 극예술 등 다른 매체와 결합되는 미디어믹스의 현상에 관해서는 차후의 과제로 삼고자 한다.
5,800
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本硏究は、18-19世紀の日本において盛んに行われた知識人の會と考證隨筆の執筆が「知識」の形成とどのような關わりを持つのかを考察した成果の一部分である。 兎園會とは、曲亭馬琴を中心とする知識人の會で、珍しい話や奇談を交わしながら互いの知識を共有し見聞を廣めるために1825年に結成された。兎園會には樣々な分野で活躍する知識人たちが參加し、そのため異なる關心分野と專門分野の知識が共有できた。兎園會で話し合って共有した知識は、『兎園小說』として編纂された。その內容は、知人の消息から世間の噂話のような「情報」をはじめ、隱語や故事關連の內容などの「知識」も含まれている。このことは兎園會が單に「情報」の共有のみを目的に結成されたのではなく、「知識」共有の性質をも持っていることを意味する。 このように知識人と呼ばれた文人たちが中心となって結成された會を通して多くの「知識」が共有され、これが文字として書かれ書籍が編纂されたことをきっかけに、知識は會から外へ廣がった。江戶や京都、大阪のような書籍流通の中心地で知識が形成され、書籍流通の活性化によって知識が擴散されたのである。

이세모노가타리 「女はらから」에 관한 일고찰

송귀영 ( Song Kwi Young )
5,800
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이세모노가타리의 「初冠」단이, 이로고노미, 미야비를 대표하는 것으로 자주 언급된다. 그러나 실제로 그 내용을 살펴보면, 무엇이 이로고노미를 상징하고, 무엇이 미야비를 나타내는 것인지 알 수 없는 게 사실이다. 심지어 「初冠」단에 나오는 두 수의 와가는 남녀 간의 정을 나누는 내용의 노래가 아니다. 이것이 이로고노미를 대표하는 내용이라면 매우 이례적인 예이다. 또한, 본문의 내용 중에도 「女はらから」와 같이 복수의 여성이 그 대상으로 등장하고 있어 이 또한 매우 이례적인 예라 하겠다. 이와같은 이례적인 표현들이 쓰인 이유에 대해, 본문 중의 「狩り」「しるよしして」 「なまめいたる」 「ふる里」 「はしたなくて」 등과 같은 표현들과 연계하여 역사적인 사실을 근거로 살펴보았다. 우선 「初冠」단의 昔男를 아리와라노 나리히라라고 하는 데에 모순이 없는가를 점검하였고, 그런 다음 나리히라 시대를 기준으로 상황에 근접하여 본문 내용을 확인해 나가는 방법으로 고찰하였다. 그 결과 平城上皇과 藥子の變이, 奈良の京가 ふる里로 표현되는데 가장 적합함을 확인하였다. 藥子는 3남2녀를 낳은 여인으로, 그녀의 장녀는 平城上皇의 황태자 시절에 황태자비의 한 사람이다. 藥子는 딸의 시중을 위해 함께 입궁하는데, 막상 황태자는 엄마인 藥子를 총애하게 된다. 몹시 심약한 체질이던 황태자는 점점 더 藥子에게 의지하는 바가 커지는데, 마침내 친동생인 嵯峨天皇에게 양위를 한다. 그러나 藥子 일당은 奈良の京로 다시금 천도하여 권력을 행사할 것을 주장하여 일을 꾀하는 데, 이것이 藥子の變이다. 그러나 藥子の變은 비참한 실패로 끝나고, 平城上皇의 측근들은 奈良の京에 남아 초라한 생을 살아야 했다. 「初冠」 본문에 등장하는 奈良の京에 「はしたなくて」 살고 있던 「なまめいたる」 「女はらから」는, 藥子의 두 딸일 가능성이 높음을 고찰하였다.

『히간스기마데』의「스나가의 이야기」에서 본 억압과 도피 - 스나가 이치조의 이성애 -

야노다카요시 ( Yano Takayoshi )
한국일어일문학회|일어일문학연구  106권 2호, 2018 pp. 107-125 ( 총 19 pages)
5,900
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본고는『히간스기마데』의「스나가의 이야기」에 나타난 스나가 이치조의 이성애를 억압과 도피라는 심리적 관점에서 분석한 것이다. 스나가는 여성에게 언제나 부정적인 태도를 취하고 자신의 욕망을 억압하고 욕망으로부터 도피하고 있다. 이성애에 대한 스나가의 억압과 도피는 그의 출생을 둘러싼 그의 죄의식에 의한 것으로 볼 수 있다. 자신이 남녀사랑의 실수로 태어났다는 죄의식이 그의 여성에 대한 욕망을 억압하고 이성을 사랑하는 것을 방해하고 있다. 그가 치요코를 사랑하지 못하고 그녀와 결혼할 수 없는 것은 그의 마음속에 이와 같은 이성애에 대한 억압과 이성으로부터 도피하려는 심적 외상이 있기 때문이다.

‘군국소년’의 자살과 일본의 전후기억

최범순 ( Choi Bum-soon )
한국일어일문학회|일어일문학연구  106권 2호, 2018 pp. 127-147 ( 총 21 pages)
6,100
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日本は、1950年代後半に異例な20代の自殺率を記錄する。その自殺率は、世界的にもその例がないほどである。當時の日本の新聞は20代靑年の自殺について報道したが、硏究のレベルではその原因と意味を深く檢討した例がこれまでない。さらに注目すべきことは、1950年代後半に20代であった靑年たちが1990年代後半に再び60代の男性として高い自殺率を示すということである。1950年代における日本の20代靑年の自殺問題は、日本の戰後をつらぬく問題なのである。本稿はこのような事實に着目し、1950年代後半の20代靑年の自殺原因を戰爭經驗から探るとともに、この問題にあらわれる日本の戰後記憶の在り方の問題を指摘した。

시마자키 도손의『어린이에게(幼きものに)』론 - 충실한 부모로서의 출발 -

천선미 ( Chun Sun-mi )
한국일어일문학회|일어일문학연구  106권 2호, 2018 pp. 149-167 ( 총 19 pages)
5,900
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本稿は『幼きものに』(1917)を通じてフランス滯在後、藤村の親としての成長過程を考察した。渡佛前、突然妻が死亡し、一人になって仕方ない狀況で子どもたちの面倒を見ながら始まった初期親の意識は未熟で否定的だった。しかし、『櫻の實の熟する時』(1917)を通じて遠い他國で母親と母性を肯定的に見始めてから歸國後にはお母さんをはじめて親として意志し始めたということが分かった。このように藤村の親の意識は'母'中心に展開され始める。ところが同時期に發表された『幼きものに』には初めて親としての'父'が登場していた。しかし、'母'も同時に現れていることから、偏向されることなく、ひたすら子らの安否を心配する眞の親の姿をアピ一ルしようとしたことを知ることができた。つまり、『子供に』は藤村が初めて親の正しい槪念の定立を見せている作品だった。 『子供に』を切っ掛けで、親の意識が成長して確立され、その後、1920年代の藤村は本格的に充實した親としての姿を展開し始めた。200本余りが收錄された童話集『ふるさと』(1920)と『幼きものがたり』(1924)をはじめ、『嵐』(1927)に收錄された短編小說は藤村が父親として、つまり、充實した親として子どもたちを養育していく過程を記錄した作品だ。このように『子供に』は藤村が'親の意識'を確實に自覺するようになったのを見せてくれる作品であり、1920年代藤村文學の展開樣相を解明できるカギになっていることを知ることができる。

일본의 근대화 산업유산과 도시재생-도미오카 제사장과 실크산업 유산군을 중심으로-

박삼헌 ( Park Sam-hun )
한국일어일문학회|일어일문학연구  106권 2호, 2018 pp. 169-193 ( 총 25 pages)
6,500
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本稿は、2014年4月に日本の「近代化産業遺産」としてははじめてUNESCO世界文化遺産に登載された富岡製絲場と絹産業遺産群を通じて日本の近代化産業遺産と都市再生の關係を考察したことである。まず、富岡市が1972年に開催した「日本近代産業發祥100年祭」をきっかけで、富岡製絲場が非西歐圈で唯一に「近代化」に成功した國家というプロパガンダ一が投影された最初の「近代化遺産」として認識される過程を確認した。また、富岡製絲場の保存をめぐる富岡市と片倉工業社の對立、そして世界遺産登錄のための「街つくり」 計畵推進と地域住民の積極的な參與及び協力は核心的觀点から分析されてきた日本の街つくりとは、その內容が全く異なる、むしろ官よりも住民が歷史的公共性をもって私的所有權者を壓迫して推進された、所謂官民一體型の街つくりの事例であることを確認した。

전쟁과 세대론-구로사와 아키라(黑澤明)의 전전과 전후-

조정민 ( Cho Jung-min )
한국일어일문학회|일어일문학연구  106권 2호, 2018 pp. 195-216 ( 총 22 pages)
6,200
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1910年東京で生まれた黑澤明は15年間續いた戰爭期に20代を送り、敗戰後には30代になっていた。敗戰後に30代半ばを向かえていた黑澤は世代的には戰前派に屬するが、彼は樣々な面において同世代とは異なる經驗をしていた。滿州事變が起こる直前である1930年、20歲になった黑澤は徵兵檢査を受けるが徵集對象からは除外された。黑澤の例外的な經驗、つまり戰爭經驗の不在は、結果的には民族主義や國家主義、天皇制に關する檢討の空白へとつながった。彼は戰前はもちろん、戰中や戰後においても映畵を製作しつづけたが、戰中には國策映畵を、被占領中には民主主義映畵を、戰後にはいわゆる「日本的な價値」を標榜する映畵を作り續けた。本稿では黑澤明の戰爭經驗と世代論とを對比させながら、彼が時代をどのように解釋し前景化していったかについて考察してみた。
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