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Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 107권 2호 (2018)

『곤자쿠 모노가타리슈』에 나타난 고려악 라쿠손의 비교문화적 고찰

이부용 ( Lee Bu-yong )
6,400
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本研究では東アジアにおける異文化交流とその日本への受容を把握するために、高麗楽の落蹲について注目した。まず、『今昔物語集』の成立以前の物語作品における落蹲の意味合いについて調べた。『源氏物語』蛍巻には六条院で開催された馬場の競射の催しが描かれているが、この行事で披露される落蹲は勝負の舞として機能していると言える。次に、『今昔物語集』本朝部における「高麗」の用例を分析した。特に、舞楽に関する用例は四例のすべてが「唐」と並んで「唐高麗」として検出されることが注目される。つまり、平安時代に舞楽二分制が確立されて以来、「唐」と「高麗」は両大の異文化として日本文化の形成に働いてきたわけである。ただ、説話の中には、この用例と関わる詳しい舞楽の描写は見えない。むしろ、落蹲は「高麗楽」という修飾語なしに取り上げられている場合が目につく。第28巻第35話では種合の勝負の舞楽として右方が準備した落蹲に関する話で、その衣装を着た舞人が「鬼」と間違えられるエピソードを伝える。第29巻第4話では「盗人」の顔がまるで落蹲のお面を連想させるほど恐ろしかったという描写が出る。二つの説話で落蹲は鬼や盗人という「負」の表象として描かれている。最後に落蹲とその番舞である唐楽の陵王との比較を行った。『古今著聞集』第6巻268話には京極太政大臣藤原宗輔の笛の演奏に感応した神が小さい人の姿に顕現した話が伝えられる。つまり、陵王の舞の文脈には神の顕現など「正」の性格が結び付けられていると解釈される。以上の考察を通じて、平安後期から中世にかける説話文学における落蹲の「恐ろしく、日常を逸脱している存在」としての表象は、平安前期や中期の文学作品では読み取れない性格であり、時代における落蹲の受容の変化が見受けられる。その背景には時代の流れによる韓半島に対する日本側の認識の変化が置かれていると推測している。

『겐지 모노가타리(源氏物語)』에 나타난 강권하는 술의 제양상

손서현 ( Son Seo-hyun )
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『源氏物語』には、登場人物に關わった儀禮や年中行事などがさまざまな形で取り迂められている。數多くの宴會が開催され、それらに沿って物語が展開する傾向が著しい。しかし注目に値する特徵は、飮食が欠かせない宴會の場面で食物に關する描寫が非常に少ないということである。同じ平安時代の作品である『うつほ物語』と比較してみても同樣である。それ故か、『源氏物語』は膨大な硏究業績が積み重ねられているのにもかかわらず飮食文化の硏究があまり行われていないようである。 そこで本稿は强いる酒に焦点をあてて、酒が物語の中でどのような役割を果たしているのか、『源氏物語』の飮酒文化について考察してみた。『源氏物語』では酒が變數として作用しながら物語の流れをコントロ一ルし、劇的裝置として機能している。また、酒を通じてリアリティ一に滿ちた樣々な人間關係が描かれている。つまり、物語世界での酒は題材や場面設定、劇的效果などを高めるためになくてはならない一種の舞台裝置ともいえよう。 以上、『源氏物語』に表れている酒、なかでも酒を强いる場面を分析し、その役割の考察を試みようとした。强いる酒は物語の展開に必要な構成要素として位置づけられている。特に酒は人間關係を構築し、出來事や物語の素材を擴張させる原動力として、極めて重要な役割を果たしていることが確認できた。
5,900
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戦後の純愛ブームと共に誕生した『潮騒』は牧歌的で童話的な世界の純粋な青春男女の愛を描いた三島由紀夫の代表的な純愛小説である。でもこの小説は恋愛の葛藤要素が葛藤として機能しないまま幸福な結末に終わるが、三島は『潮騒』が内的な矛盾を孕んでいると自評し、自分の小説が真の意味の恋愛小説ではないことを暗示した。その後、三島は恋愛小説が成立するための条件として禁忌が必要であると語り、自分が考えられる最大の禁忌として皇室の勅許を設定し『春の雪』を執筆した。恋愛において極服できない禁忌が存在すると、純粋な愛の情念のみが残る。命もいとわない純愛のためには絶対の禁忌が必要とされるのである。 さらに、このような純愛の原理は、絶対の存在に憧れ、妥協せず純粋に憧憬し、ついには破滅に至る浪漫主義のイロニーの原理にも似ていると言える。三島の『豊穣の海』において、一部では純愛を、二部ではイロニーを主題として書かれたことも、その密接な関連性が暗示されていると思われる。
6,200
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本稿の目的は1940年代の安部公房の思想の展開について調べ、それに影響を与えた文学と哲学思想を把握することである。 本稿は、1940年代に安部が創案したが、現在はその名前だけが知られている「新象徴主義(あるいは存在象徴主義)哲学」に注目する。そして、同時期に発表された『無名詩集』がこの哲学の内容を反映しつつ書かれており、特に散文詩「ソドムの死」は安部が自分の思想の発展過程を一つの物語を通じて表現していると仮定した。 この仮定によると、安部が聖書に登場するソドムを素材に採用したのは、 道徳が堕落した都市として有名なソドムを文学的デカダンスの象徴として立たせるためである。そして、この詩の主人公である三人の詩人がソドムを立ち去るのは、安部が象徴主義からデカダンスを排除したという意味に解釈で きる。離別した三人の詩人が各々経験する「凡庸の恐怖」、「知識の恐怖」、「孤独の恐怖」という試練は、安部がニーチェ、ハイデガー、リルケの哲学や文学を受け入れるようになった過程を意味する。その三人が十年後にソドムで再会し、一つに合体して新しい人間に生まれ変わる場面を通じて、安部は自分の新しい哲学が誕生するのを表現したというのが、本稿の結論である。

사토 하루오「아름다운 마을」의 정치적 미의식

이석 ( Lee Seok )
6,100
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佐藤春夫はオスカーワイルドの翻訳文を批評した文章を通して文壇にデビューした。この文章で佐藤はワイルドの主題は「高踏的な思想感情」にあり、翻訳文はそれを可能な限り生かすべきであると主張する。とくに佐藤は権力を持っているのは平凡な多数者であるが、自分は特別な少数者に賛同していることを明らかにした。こうして佐藤はワイルドの芸術至上主義から多数者と少数者の葛藤関係を読み取り、それに基づいて自分の文学世界を展開するようになる。 以上のような佐藤の芸術観は彼のユートピア小説「美しき町」を通して実現される。「美しき町」は芸術家たちが理想の町を建設するために奮闘する姿が描かれているが、その中で「多くの人々」が<美しい町>に遭遇して驚く場面が出てくる。この場面を通して主人公たちが計画する<美しい町>の目的は「多くの人々」が住んでいる日常生活を異化するためであることが確認される。このような内容のために「美しき町」はユートピア小説として読められる。 しかし、作品のなかで描かれる<美しい町>は非常に閉鎖的な構造をもっ ており、「多くの人々」の接近を禁じている。そのうえ、<美しい町>の内部は隠蔽され、町の美しさのみが際立つ。こうした<美しい町>の排他性のために「多くの人々」は十分に異化できない。ここに佐藤春夫の政治性があらわれる。佐藤は美しい芸術を通して多数の一般大衆を啓蒙しようとする考えは持っているが、その一般大衆によって自分の芸術が相対化されることを忌み嫌っている。そのために佐藤の文学はエリート主義を見せると同時に自閉的な限界も露呈しているのである。

조선후기 지식인들이 본 일본의 하나미

노성환 ( No Sung-hwan )
한국일어일문학회|일어일문학연구  107권 2호, 2018 pp. 111-134 ( 총 24 pages)
6,400
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外国人として最初に日本の花見を記録したのは朝鮮人の鄭慶得と鄭希得の兄弟であった。その後、日本の花見を体験した朝鮮通信使たちがいた。彼らも中國人の黃遵憲やドイツ人のErwin von Belzよりも遥かに時代が早い。にも拘らずこれまで硏究者から一度も注目されたことがない。この人たちが体験した花見を黃遵憲やBelzの経験したものと比較してみると、次のような特徵がある。一つ目は黃遵憲やBelzの経験した大衆性の強い庶民型の花見ではなく、庭園で行われる閉鎖的な貴族型であったこと。二つ目は黃遵憲とBelzが体験した花見は文化の中心である現在の東京のものであったのに対し、朝鮮人たちが経験した花見は中央から遠く離れた辺境の対馬のものであったこと。三つ目は黃遵憲やBelzが見たものは近代の花見であったのに対して、朝鮮人が見たものは近世初期の花見であったこと、である。朝鮮人たちは黃遵憲やBelzのように庶民型の花見を体験することはできなかった。というのも、鄭氏兄弟の場合は当時そのような花見がなかったし、通信使の場合は外部の出入が自由にできない身分的な制約があったからである。このように限定的な花見体験ではあるものの、鄭氏兄弟の記錄から当時辺境の対馬でも花見を楽しむ中央の貴族の文化が伝わっていたことがわかるし、通信使の記錄からは、花見にはその前提として花(桜)がなければならないという当時の日本人の花見観が垣間見える。そうした意味でも、たとえ近世の朝鮮人たちの花見に関する記錄が僅かであったとしても、それが持つ学術的な価値は大きいと言えるだろう。

동조궁 신앙의 민중수용에 대한 비판적 고찰

양익모 ( Yang Ik-mo )
한국일어일문학회|일어일문학연구  107권 2호, 2018 pp. 135-153 ( 총 19 pages)
5,900
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江戸幕府の創立者である徳川家康は死後、東照大権現という神として日光東照宮に祀られた。神として祀られた家康の神格化の特徴は徳川家の神としての意味を持っている。しかし、江戸時代の最高権力者として位置は徳川家の守護神たけに止まることなく全国で勧請されその数550個に及んでいる。このような事実は現代の研究者の間に「東照宮信仰」と呼ばれ、その信仰が民衆にまで達していると主張されている。しかし、全国で勧請されて東照宮の面々を見ると信仰に起因する勧請よりも他の要因に起因することが多いのである。その要因は大名が勧請した事例は幕府との繋がりと幕府に対する忠誠の表しの面が強く、その以外は家康との由緒をその原因とすることがわかる。その由緒の場合にも家康から何らかの恩恵を被った事例が多いことがわかる。また、日光東照宮の参詣においても御目見え以下の家臣には拝見だけが認められたが、後期に至って参詣が認められようになった。民衆の場合は参詣が認められているが、御札の配布が認められないという規制が設けられていたことがわかる。以上のような事例を総合して本稿では徳川家康を神として祀った「東照宮信仰」について民衆受容の限界性について論証することを目的にする。

한국과 일본의 국가(国歌) 비교 연구

이유희 ( Lee Yu-hee )
한국일어일문학회|일어일문학연구  107권 2호, 2018 pp. 155-192 ( 총 38 pages)
7,800
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「国を愛する」という意味の韓国の国歌「愛国歌」は、徐載弼による「愛国歌制定・斉唱運動」をきっかけに作られた歌として、高宗皇帝の勅で、韓国初の国歌「大韓帝国愛国歌」(1902年)が制定されて以来、「Auld Lang Syne」の旋律を借用した「尹致昊作詞の愛国歌」(1907年)-「安益泰作曲の愛国歌」(1935年)へと変化し、現在に至っている。 韓国国歌は、東西列強の侵略の危機を克服し、「自主独立国としての国権を確立」するため作られ、ナショナリズムを鼓吹するための歌として、「自主独立運動のメカニズム」としての役割を果たした。問題点としては、作詞·作曲家の親日論が巻き起こるに従い、国歌改訂問題の浮上や国歌正統性と象徴性の是非などの議論を重ねてきたということである。思想・文化的には、古来からの韓国固有の「天神思想」を含意しており、朝鮮時代の忠君愛国精神を受け継いだ「儒教思想」のエッセンスが散見される。また、朝鮮時代末期、教会を中心とした独立運動の拡散と共に、作詞家の宗教観が国歌に反映されることにより、「キリスト教思想」が内在化された。韓国の国歌はいわば、儒教社会からキリスト教社会への「宗教・思想のパラダイム転換」→「国歌の思想・文化的特殊性の変化」=唯一神の「父性原理(思想)」をもとにしていると説明できる。 他方、日本の国歌「君が代」は「天皇の国家(時代)」という意味として、英国歩兵隊の軍楽長フェントンが外交儀礼のための国歌制定の必要性を提案することにより、「近代化された文明国家としての天皇制国家の権威」を確保するため作られた。1870年に初の国歌「第一君が代」が作られて以来、1888年にはエッケルト編曲・林広守作曲の「第二君が代」が制定・配布され、1999年に正式に法制化された。 日本の国歌は、「天皇と国民の統合・結束」と「和洋折衷のツール」として和歌が利用され、明治近代国家樹立のための「脱亜入欧と東西合体」のイデオロギーを標榜した「近代文明開花」の役割を担当した。問題点としては、天皇を崇敬し治世を賛美する歌、侵略戦争による東アジア諸国の植民地統治のツールとしての役割、東洋と西洋の不調和による音楽自体の作曲·編曲上の是非、そして、君が代起立斉唱を巡る教育界の反発に直面してきたということが挙げられる。 思想・文化的特徴としては、「和歌文化」を始めとし、神道の思想的根幹である「アニミズム」が投影されているが、このような世界観は、自然における生命の誕生と永続性、精霊・魂の存在などを司る「母性原理(思想)」の特殊性をベースとしていると言えよう。
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