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일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 22권 0호 (1993)

특별강연 : 문화와 방언 ( 文化と方言 )

(Hirohama Fumio)
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とする日本語學習者(以下, 韓國語話者)に日本語疑問文イントネ-ションの生成實驗と知覺實驗を行い, その結果を日本語話者について行った同樣の實驗結果と比較した. その結果, 次のことが明らかになった. 第一に, 日本語話者は日本語のWH疑問文とYN疑問文を明瞭に區別している. WH疑問文では述語が獨立したイントネ-ション句として機能せず, 文全體が一つのイントネ-ション句に結合されるのに對して, YN疑問文では述語が獨立したイントネ-ション句として機能しており, このような特徵は述語の基本周波數曲線に明瞭に現れている. ところが, 韓國語話者の發音では兩疑問文の區別がまったく行われていない. まず, 韓國語話者の發音に現れた兩疑問文の特徵は次のようである. すなわち, 名詞句のアクセントがすべての被驗者において中高型になっており, 無アクセント方言の韓國語話者にとって 特に, 鼻子音ではじまる頭高型の語の發音がむずかしいようである. 次に, 韓國語話者の發音では述語の最終モ-ラだけが垂直的に上昇している. これは, 韓國語の干涉現象であるように思われる. つまり, 韓國語の文末上昇調の疑問文では最終音節だけが垂直的に上昇するのが一船的であり, 韓國語話者によくみられる, 「行きますか」をikimasu「ka↑のように, 「ありますか」をarimasu「ka↑ のように發音する現象が母語の干涉の代表的な例である. 第二に, 合成音聲による知覺實驗の結果, 日本語話者は述語始端における韻律境界の强さを手がかりにして兩疑問文を明瞭に區別しているのに對して, 韓國語話者は述語始端における韻律境界の强さを兩疑問文を區別する手がかりとして利用できないということがわかった. 以上で述べた韓國語話者における日本語疑問文イントネ-ションの生成および知覺上の問題点は被驗者の日本語學習歷の長短とは無關係に共通している. 結論的にいって, 文の文法構造とイントネ-ションの關係は日本語能力が高くなるにつれて自然に習得されるような性質のものではなく, 日本語學習の初期段階から體系的な敎育および學習が必要である.

『 일본서기 (日本書記) 』 기재 (記載) 어휘고 (語彙考)

신용태(Yong Tae Shin)
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朝鮮資料を代表する『捷解新語』は何度かの改訂を重ね, 當時の生きた言語を反映する文獻として資料的價値が高い. 『捷解新語』は朝鮮語を母語とする人人の手に成った.故に, 朝鮮語出自の語, または朝鮮語の干涉を受けたと思われる誤謬例が見られる. それらは版を重ねるに從い, 訂正の道をたどった. 第二章ではそのような語彙·語法について明らかにした. また『捷解新語』三本成立の時期は日本語にとっても大きな變容を余儀なくされた時期である. 新舊の交替があれば, 具體的にどのような姿で『捷解新語』三本にあらわれているかを見たのが第三章の「おりない」「がな」「かし」周邊のことどもである. また改修本に見える「ぎょいゑ」「くでん」「つこらぬ」は中央文獻にあらわれにくい特異な語であり俗語と見られる. 『捷解新語』がも獨自の資料性に, どのように接近していくのかを試圖したのが本稿である.

한일어 (韓日語)의 재귀대명사 (再歸代名詞) 비교 연구

이종철(Jong Cheol Lee)
한국일어일문학회|일어일문학연구  22권 0호, 1993 pp. 113-144 ( 총 32 pages)
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중세 일본어에 있어서의 경어의 특질

도기정(Ki Jeong Do)
한국일어일문학회|일어일문학연구  22권 0호, 1993 pp. 145-171 ( 총 27 pages)
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中世は敬語史においても大きな變化をもたらした時期である.先ず言語形式においては, 尊敬を表わす「御+單一形容詞」形式が現れ, 引き續いて「御+動詞」形式などが出現する. そして中古から見え始めた「御一あり」形式が中世にも尊敬表現として廣く用いられたが, 中世後期には「御一ある」となって, さらに語形轉化を經て室町末期には尊敬語形式から丁寧語に轉ずるようになる. この時期はまた新しくできた二重敬語まで加えられ, 敬語表現の言語形式は多樣化という大きな特徵を作る. いっぽう用法においても大きな變化が見られる. 「申す」を始めとする多くの謙讓語が丁重語に轉成し, さらに「候ふ」が丁寧語として廣く使われ, 聞手尊敬の敬語へと發達するようになる. こういう觀点から, 中世は古代敬語から近代敬語へと移行する過程において, その過渡期的な時期であると同時に, 近代敬語の特徵である「聞手尊敬の待遇表現の發達」という共通的な基盤を築きあげた時期であると言えよう.
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芥川龍之介の93作品に見られる「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」について考察してみた. その結果, 次のようなことがわかった. ①「に(のに)相違ない」は, 芥川龍之介の文學世界が「保吉物と呼ばれる現代物」に變る『報恩記』以降にはほとんど見えなくなり, 「に(のに)違ひない」の表現だけが現われる. ②「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」文に呼應する副詞「きつと」「實際」は, 時期的に短期間に集中して現われる. これは, ある表現を短い期間だけ用い, またそれを捨てるという傾向が, 芥川の文體上の好みに存在すると指摘できるであろう. ③芥川の作品に見られる「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」は, 作品展開の逆轉を暗示していることがわかる. この表現は, 話を大きく轉換する一つの峠をなしている表現であるといえるであろう. ④芥川の作品に見られる「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」には, 同樣の內容を繰り返しながら用いられるものと, 指示語で繰り返しながら用いられるものとの, 二つの表現形態が見られる. また, この二つの形態には, それぞれいわゆる逆說を表わす接續語が用いられる場合もある. これらは, 先行する表現を具體化しながら, 「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」を用いるという表現上の特徵が見られる. ⑤芥川の作品に見られる「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」という表現には, 先行する表現をそのまま繰り返した上で, 何らかの副詞をその表現の前に添加して表現するという傾向のあることが指摘できる. 以上のように, 芥川の作品に見られる「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」についての表現の特徵を見ると, 「Aは(が,も)+ない」の外に, 芥川の別の面での表現意識が受け取られるといえるようである. すなわち, 「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」という表現で, 讀者に强い印象を與えてから, その「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」と考えたことを轉換させていく芥川の話の展開方法は, その表現效果が大きいと思うのである. また, 芥川の表現が單なる繰り返しではなく, 具體化と强調とを伴う繰り返しとして「に(のに)違ひない」「に(のに)相違ない」を用いているものと認められると思うのである.
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日本中古·中世文學, 特に說話文學における佛敎思想と死生觀についての硏究は當時の日本人の情神世界を解明するためには重要な課題である 『日本靈異記』と『今昔物語集』は作品として成立した時代を異にしながらも, 佛敎說話という救道性を知っているため, 當時の日本人の生と死に關する意識を考えるに重要な示唆を與えていると思われる. したがって『日本靈異記』と『今昔物語集』を比較することによって兩書に見られる當時の日本人の死生觀と佛敎思想との關聯性についても知ることができる. 本稿では, その先行硏究の一つとして『日本靈異記』と『今昔物語集』に見られる死後の世界の觀念の變化の樣相, すなわち奈良時代の末期成立の『日本靈異記』と平安時代の未期成立の『今昔物語集』に現れた死後の世界の觀念の差について比較的な立場で檢討し述べた.

『 평가물어 (平家物語) 』 의 사생관과 원령사상 (怨靈思想)

최문정(Mun Jeong Choi)
한국일어일문학회|일어일문학연구  22권 0호, 1993 pp. 231-262 ( 총 32 pages)
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『平家物語』の戰場では, 古來からの欣求淨土的な死の樣相が武士的な非欣求淨土的な死の樣相に移り變わってゆくような樣子が現れている.『平家物語』の諸本の敍述者も戰場での武士的な死に方に對し, 從來からの淨土敎の死の論理を揚げ, その執着を墮地獄を云云しながら非難することもない. 從來の傳統的な死の論理とは別の價値觀で彼らを見て, 判斷しているのである. 卽ち武家社會では, 當然切に求されてくるはずの湧戰奮鬪の「あっぱれ」精神と, 主從間の結束の精神の「一所にて死なん」が肯定的に描かれている. 讀み本では勝利者側の功名譚を中心として, その武勇を描いているのに對し, 覺一本の方は特に敗者に焦点を合わせ, 醜いものを省いて, より美しく仕上げられている. これに對し非戰場では, まだも古來からの欣求淨土的な死の樣相と論理だけが持續されている.本意でないながら臨終正念できなかった場合, 讀み本係の諸本はその怨靈を大いに認識しているのに對し, 覺一本は怨靈の敍述には消極的で, なるべく欣求淨土的な側面を强調している. また死者のための近親者の供養の記事も諸本が缶かさず載せていて, 非常に重要視されているのが分かる. このように非戰場死では死者の臨終正念と死後供養を描くことによって, 往生を最大限象徵しているのである. 反面, 非戰場死にもかかわらず臨終正念と死後供養を無視した淸盛は, 稀代の惡行者として, 同時代人を戰慄させたのである. 戰場死と非戰場死での論理がこのようにはっきり分かれている理由と背景については, 慈の「愚管抄」にも「顯ニハ武士が世有ルべシト, 宗廟ノ神モ定メヲボシメシタルコトハ, 今ハ道理ニカナイテ必然ナリ.」(卷六 順德)と確と力說しているように, 世はもう戰場を中心として從來の欣求淨土的な價値觀ではやっていけないような武士の世が始まっていて, それを追認せざるをえなくなった段階において, もっと積極的に政治, 宗敎界の指導者の揭げる理念が『平家物語』にも反映させられたのではないかと思われる. 美化された覺一本『平家物語』の詞章を琵琶法師に語り繼がせることによって得られる效果は, まず平家への鎭魂の意圖とともに欣求淨土思想の布敎, 武家社會が新しく要求する新時代の價値觀, もっともらしい死生觀を美意識を通じて民衆の心中に浸透させていったものが多かったろうと考えられる.
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リルケの戱曲『das tagliche Leben』の飜譯である『家常茶飯』(1909年)は, 日本で最初のリルケの飜譯という歷史的意義を持っている作品である. 當時, 日本はおろかヨ-ロッパにおいてさえ無名に近かったリルケの作品, しかも本國ドイツで失敗作と見なされた作品を鷗外は飜譯したわけであるが, 鷗外が注目したのはほかでもなく新鮮で獨特なリルケの思想であった. 『家常茶飯』には「因襲の外の關係」として孝を行なっている獻身的な女性像が描かれているが, リルケの思想は正にこの女性像によってよく代弁それている. ニ-チェやイブセン流の自己本位的な近代思想が時代を風靡していた明治40年代當時, 倫理的秩序の崩壞現象を憂慮していた古典主義者鷗外にとって, 同じ西歐の近代思想でありながら, 「因襲の外の關係」として獻身と秩序を尊ぶリルケの思想は大きな發見であり, 慰めであった.
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