글로버메뉴 바로가기 본문 바로가기 하단메뉴 바로가기

논문검색은 역시 페이퍼서치

일어일문학연구검색

Journal of Japanese Language and Literature


  • - 주제 : 어문학분야 > 일어일문학
  • - 성격 : 학술지
  • - 간기: 계간
  • - 국내 등재 : KCI 등재
  • - 해외 등재 : -
  • - ISSN : 1226-2552
  • - 간행물명 변경 사항 :
논문제목
수록 범위 : 23권 0호 (1993)
키워드보기
초록보기
N/A

자타동사의 대립과 파생에 관한 대조연구

한유석(Yu Suk Han)
7,600
키워드보기
초록보기
日本語の自他對立の形式には,「たつ→たてる」のように派生方向が明瞭なものと,「まわる→まわす」のように派生方向が不明瞭なものがある. 從來の先行硏究において「まわる」と「まわす」の派生關係を派生方向の不明瞭なものに分類してきたのは, これらが共通語根による相互派生という点と, もう一つはこれらの派生方向が文獻資料を通して確認できない, 歷史以前にせでに成立していた語であるという点に基づくだろう. さて, これらに對應する韓國語の「tolda」,「tolrida」の派生は, 「tolda」より「tolrida」へ派生した. さて, 意味內容と形式が韓國語の「tolda(自)」「tolrida(他)」と類似した「まわる」は, 韓國語の「tolda→tolrida」のように,「まわる」より派生した可能性が高い. しかし, このような假定が整合性をもたせるには, 先ず自他動詞の派生方向が兩言語間に全體的にどれほど一致するかに對する考察が先行しなければならないと思う. よって, 本稿では日本語の133對(266個)の自他對立動詞に韓國語の對應形式を當て, それを分類·成立したあと, 兩言語の自他對立の一致率と自他の派生方向の一致率を算定しておいた. 更に本稿では, 韓國語の自他の對立形式を日本語と對照考察する過程で發見した, 兩言語の間の類似点においても, いくつか具體的に記述することができた. 例えば, 韓國語の「-i-」派生他動詞と日本語の派生他動詞の差, 兩言語の形容詞語幹から派生した自他對立形式の派生方式の差など.

한일양국어의 태 ( Voice ) 에 관한 대조연구

이광수(Kwang Soo Lee)
7,500
키워드보기
초록보기
N/A
키워드보기
초록보기
N/A

일본지명에 반영된 한국계어원 「 usu , sue 」 에 대하여

이종철(Jong Cheol Lee)
한국일어일문학회|일어일문학연구  23권 0호, 1993 pp. 105-124 ( 총 20 pages)
6,000
키워드보기
초록보기
日本の地名を調べて見れば韓國系の語源だと推定されるのが意外に多い. 本稿ではその中で[usu]と[sue]だけを拾い論議の對象にした. 韓日兩方の考古學者達の現在までの硏究結果を見ると昔から古代韓半島から多數の技術文化が日本列島へ傳授されたが特に稻作文化と須惠窯文化が正にそれである. 一般的に語れば惑る文化が傳授される場合その技術を傳授する技術者が渡り行くようになるのが當り前になる. その技術陣が使用する用語も自然に自分達の自國語をそのまま使用するし自分達が住んでいる地名も自國語で命名した事と想定される. 本稿では[usu]と[sue]とはふたつの語源とそれらの技術文化の背景を持った言葉で日本の固有語ではなく韓國系語源を借りた言葉ではないだろうかと推定して見たその論據を項目別に示して見れぱ次の通りである. 1. 臼·애·대·년等はみんな「稻を粉にしてその殼をむき米を作り出す器具」でこれを日本語で[usu]と讀んだのは韓國語の[으스러뜨리다]の語源[으스(i­si­)]を借用し日本音韻構造と同化させ[usu]と讀んだと思われる. 2. 現在韓國で使っている同じ形と同じ大きさの「杵(き)」が日本の唐古や登呂遺跡地で發見され又「杵(き)」が韓國語「杵(ko)」と同系語源だと主張する根據もあり「杵(き)」と不可分の關係がある「臼(うす)」も韓國系語源の可能性が多い. 3.「すえ窯」で「窯(かま)」が韓國系語源であればここに先行した[sue]が韓國系語源だと想定される(III 參照).「すえ器」は新羅燒きの傳統を受け次いた硬質土器であり, 在來式土器である「土師器」とはちがい「鐵のように丈夫な,たたけば鐵音が鳴り色合いが鐵の同じ黑褐色が出る」故に鐵にたとえらた名稱で韓國語の鐵の古代語[sue]を再構する事が出來る. 4.「すえむら·すえまち」と言う名稱で見られる通り「すぇ窯がある村」又は「すえ器を製作する村」だと言う意味で村の名稱が思い出され,ここで`村`又は`町`が省略されたまま,[sue]((陶·末·末江·須惠·須江·須衛·須依·菅江·洲衛))と呼んだりした.
6,300
키워드보기
초록보기
この硏究は助詞「を」の接續助詞としての用法の通時的硏究の前段階であり, ここでは中古時代の「連體形+を」について調査·考察する. その結果は次のようにまとめられる. (1)「連體形+を」はその用法において格助詞(タイプⓐ)·接續助詞(タイブⓑ)·その中間的なもの(タイプⓐ`·ⓑ`)·間投助詞(タイプⓒ)に分類可能で, 作品での出現頻度數の高い順としては格用法·接續用法·その中間的なもの·間投用法である. (2) 上接語と下接語による傾向の調査では, 格用法は比較的均等な上接語を, 接續用法は制限された上接語を持ち, その中間的なものは特定の上接語を持たない. 下接語でははっきりした傾向はみられない. (3)「地の文」と「化話文」での出現頻度數の調査では, 接續用法だけが「地の文」と「會話文」でほぼ同じ頻度數を見せるが, その以外は「地の文」で高い頻度數を見せている. (4)「連體形+接續助詞を」の意味用法は逆接·順接·單接に分類でき, 純粹な接續用法であるタイプⓑは均等な頻度數を見せるが, 中間的要素を持つⓑ`は逆接には現われない. 前に觸れたように本論文は助詞「を」の通時的硏究のための前段階で, ここではその調査と考察に止まるが, 時代的比較硏究が必要と思われる. 特に接續用法の減少過程は興味深い課題と言える.
키워드보기
초록보기
万葉集は13C傾からいろいろな角度で硏究されて來た. 特に, 最近は次のような角度から硏究されている. 文藝學的硏究. 民俗學的硏究. 歷史·社會學的硏究. 風土·文學的硏究. 比較文學的硏究. 國語學的硏究. しかし, このような活發な硏究の中で, 渡來人の硏究はほとんど行なわれていない. 万葉集には作者をふくめ480余人の人物が見られるがその中, 80余人が渡來人である. これは決して少なくない數である. これら渡來人がしめている作家的, 作品的重要性はいまでもあまり認識されていない. 從って本考では渡來人の個人個人の出自, 經歷, そして作品を一首一首分析し, 歌の正しい解釋と理解, 渡來人の役割, および影響など全般的に日本人の視野ではなく外國人の目で再照明したいと思う. 本考で檢討する人物は高丘連河內から丈部黑當までの20人である.

일본문학에 있어서 「 우키요 우키미 」 의 일고찰 - 평안조 일기문학을 중심으로 -

박윤호(Yoon Ho Park)
한국일어일문학회|일어일문학연구  23권 0호, 1993 pp. 185-211 ( 총 27 pages)
6,700
키워드보기
초록보기
日本文藝の特質は, その多くを平安朝文藝の中に見出すことができるが, その中でも日記文藝は異色の存在である. 最近, 歐美諸國において『自傳契約』,『日記論』などの刊行にもみられるように, 自傳や日記への關心がにわかに高まりつつあるが, 平安朝の日記はすでに9世紀に開花し, その傳統は長く日本文藝の樣式と特質を方向づけた. 以上のような平安朝女流日記の重要さを前提に, 本稿はその特質と展開の一端を「うき世·うき身」意識の檢討から考えようとしたものである. 「うき世」という言葉が, 人の世を憂しと見ての憂世の意で平安時代以來用いられ, 室町時代に入って, この世を穢土と見て,「厭離厭土」の語に示されるように厭い離るべき人の世としての佛敎の厭世思想が加わってうき世は憂世としてさらに强く意識された. 本稿は以上の平安時代の「憂世」觀の成立と關連して, まず, 平安朝「うき世·うき身」の思想的背景とその意義をIIで檢討した. IIIでは『청령일기』『和式部日記』『紫式部日記』『更級日記』の主な「うき世·うき身」の用例を考察した.
7,300
키워드보기
초록보기
『太平記』には, 戰場で先を爭って武勇を競った結果, 死に方もそれぞれの立場と境遇によって細分化していく現象が描かれている. 卽ち集團戰での一般死だけでなく, 誰よりも先驅けて一番乘りで戰おうと驅け出して死んでいく先陳攻擊死, 味方の軍勢は敗走する中で, 適に後ろを見せるのを恥と思い, 敵に一人で走りかかり, 死を遂げていく單獨反擊死, つい敵の戰術に卷き입まれて, 碌に戰いもできずに軍勢を一時に多量失ってしまう壞滅的な死, そして敗北を迎えてからは武將と侍たちの自害が行われる. その時, 彼らは最大限潔く自害することによって戰慄を感じさせ, 一瞬それは敗北の姿でないような錯覺を呼び起こすのである. 彼らの戰いぶりには死も怖がらないような鎌倉武士の精神と姿がそっくり顯れているのであり, その背景には戰果によって所領を占めるようになる武家封建制の影響も窺われる. 問題としては, 壞滅的な死と武將の自害の樣相に類型的な特徵が窺われるといぅことである. 壞滅的な死の場合は, 北條軍團の連續的な壞滅の敍述で構成されており, 宮方の軍勢が壞滅されるような記事は記されていない. また武將の自害の樣相においては, 宮方の怨みと敵討ちの精神が大いに浮き彫りされている反面, 北條軍團の方は, 感動的な主從間の情誼と忠烈武勇談が主な內容となっている. このような類型的な特徵には, 敍述者の構成意圖が窺われる. 卽ち宮方の立役者たちは, 彼らの最後の意志通り,『太平記』の第三部に記される怨靈談に再登場し, 足利武家の內亂を畵策, 主導する役割を擔當していく. これに對し, 北條軍團の武將たちは政治的な怨恨からの怨靈談には登場していない. これには新しく權力を握って, 軍雄割據する武士階級に皇統の怨靈の怖さを認識させようとする意圖が窺える. このような背景で, 最後の時に念佛を唱える武士より, 逆修信仰の武士が稱えられており, 非欣求淨土的な死, すなわち主君の天皇に最後の一念を捧げて, 怨靈になってまで敵を滅したいという宮方の執念深い死が絶讚されている. 反面, 官方に滅ぼされた北條氏は『太平記』の構想段階から朝敵と位置付けられ, 怨靈史觀の對象からもはずされたことであり, その死は, 武家武士道精神に徹底した姿だけで美化し, それで鎭魂しようとしたのではないかと判斷される.

호리다쯔오 (堀辰雄)의 시세계 소고

이선옥(Sun Ock Lee)
한국일어일문학회|일어일문학연구  23권 0호, 1993 pp. 247-279 ( 총 33 pages)
7,300
키워드보기
초록보기
堀辰雄の文學的原體驗は先ず詩というジャンルの中で誕生し, やがて小說にふきこまれたといわれる. 彼において, 詩と小說は詩精神が始終一貫する分離できない一體的要索であると思う. 彼の現實とは, 死と病氣との戰いが何より優先で, 當時の暗鬱な日本の社會ともとけ合って實社會とを遮斷する大きな璧とをった. しかし, 單純に斷定はできなく, 詩作ごとにある時は用意周到な余裕として, ある時は切迫さでせめている. 堀辰雄の萩原朔太郎の『靑猫』にふれた時期の詩には表現技法や素材等の模倣が表われているが, すでに洗練された都會人のおしやれの獨自な世界と純粹でダンディな感覺的表現として生かしている. 堀辰雄文學につらなる死を通して生を見ようとする一貫した流れが, 詩の中にも描かれていて, 詩は缺けてはならなぃ硏究の核として重大な意味を持っていると思う.
1 2 >